2月 14 2025
ヌーソロジーでは身体の「前」方向を4次元として考えます。これは3次元の観察を順に辿っていくと誰にでもわかってくることです。
例えば、目の前で物体を回転させてみる。物は3次元の立体とされているものです。これに3次元の回転を与えてみます。当然、物はグルグルと目の前で回り始めます。しかし、それを見ている視線は微動だにしていません。
これは物の3次元に対して、視線が直交しているからだと考えられます。では、次にこの視線を回してみましょう。 視線の回転は、観測者が物の周囲を周りなから、常に物を見ることによって可能になります。このとき視線は確かに物の周りを巡っています。そして、この回転にも3次元の回転を与えることができます。
では、このとき、この回転を見ているものはどこにいるのでしょうか。この空間で動いていなものがあれば、それがこの回転を見ている4次元になります。
そこで、しばし、考えます。——視線が回っているというというのは、あくまでも対象を中心に見たときのことだ。自分の身体からすれば、いくら私が物の周囲を巡ったとしても、視線は常に身体の前方向を向いているのだから、身体側から見るなら視線は回っていない。つまり、身体の前が4次元なのである——そこでまたまた考える。——じゃあ、今度は身体自体を回してみよう。そうすれば今度は自分の前が回る。回っているのが分かるのだから、この回転を観察している4次元がどこかにあるはずだ。それはなんなのだろう。。
しばらくして、その4次元が見えてくる。自分の身体が回っても回っていないもの。それは何か・・・それもやはり「前」だ。身体が回転して、たとえ「前」が回ったとしても、前は常に前でしかないのだから、前自体は回っていない。。こうして、身体における絶対的前というもの現れる。これが4次元の本質だ。
こうして、私たちは主観を作っている身体の絶対的前の世界に出ることができます。 そして、このような思考を積み重ねていくことで、私たちは今まで不可能と思われていた4次元の認識を確立させることができてくるわけです。 4次元とは、私の絶対不動の前のことです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
2月 14 2025
自分自身が4次元の存在なのだということに早く気づこう
ヌーソロジーでは身体の「前」方向を4次元として考えます。これは3次元の観察を順に辿っていくと誰にでもわかってくることです。
例えば、目の前で物体を回転させてみる。物は3次元の立体とされているものです。これに3次元の回転を与えてみます。当然、物はグルグルと目の前で回り始めます。しかし、それを見ている視線は微動だにしていません。
これは物の3次元に対して、視線が直交しているからだと考えられます。では、次にこの視線を回してみましょう。
視線の回転は、観測者が物の周囲を周りなから、常に物を見ることによって可能になります。このとき視線は確かに物の周りを巡っています。そして、この回転にも3次元の回転を与えることができます。
では、このとき、この回転を見ているものはどこにいるのでしょうか。この空間で動いていなものがあれば、それがこの回転を見ている4次元になります。
そこで、しばし、考えます。——視線が回っているというというのは、あくまでも対象を中心に見たときのことだ。自分の身体からすれば、いくら私が物の周囲を巡ったとしても、視線は常に身体の前方向を向いているのだから、身体側から見るなら視線は回っていない。つまり、身体の前が4次元なのである——そこでまたまた考える。——じゃあ、今度は身体自体を回してみよう。そうすれば今度は自分の前が回る。回っているのが分かるのだから、この回転を観察している4次元がどこかにあるはずだ。それはなんなのだろう。。
しばらくして、その4次元が見えてくる。自分の身体が回っても回っていないもの。それは何か・・・それもやはり「前」だ。身体が回転して、たとえ「前」が回ったとしても、前は常に前でしかないのだから、前自体は回っていない。。こうして、身体における絶対的前というもの現れる。これが4次元の本質だ。
こうして、私たちは主観を作っている身体の絶対的前の世界に出ることができます。
そして、このような思考を積み重ねていくことで、私たちは今まで不可能と思われていた4次元の認識を確立させることができてくるわけです。
4次元とは、私の絶対不動の前のことです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0