10月 15 2024
定質と性質—主観空間と客観空間の区別が見えなくなっている私たち
ヌーソロジーでいう「人間の意識の定質」は、主観空間と客観空間を等化する働きを持っています。
自分の周囲の空間と他者の周囲の空間は、”奥行き”と”幅”という歴然とした違いを持っているにも関わらず、定質がこれら両者を等化しているために、今の私たちにはその絶対的差異が見えなくさせられています。
このような意識状態のことをヌーソロジーでは「性質」と呼びます。OCOT情報は、人間の経験的な意識のすべてはこの「性質」が生み出しているものと言っています。
「性質」の状態では、意識を構成している持続空間(奥行き)の構造(定質)がまったく見えません。というのも、意識を作っている奥行き(持続空間)が幅と同一化していて時間化しているからです。皆さんが自分を時空の中にいると思っているのなら、皆さんはこの性質に浸っており、精神の方向性は見失われているも同然です。
奥行き(持続としての精神)は本来、ミクロに根付いて働いているものです。そして、この奥行きが実存としての生命の力を皆さん一人一人に与えているのです。そこには、経験的意識を生み出している側のメタ意識が生きています。
その場所を再生させる時期が近づいています。
時空という同一性の場所を解体しましょう。
10月 16 2024
物の内部への侵入とは
物自体の世界は「物の内部」に息づいている。人間の意識は表象でしか世界を捉えることができないので、この「物の内部」に侵入することができない。物の内部へと認識が侵入するためには、表象から逃れて、物の内部の空間というものを発見する必要があるわけだ。
現代宇宙論でも示唆され始めているように、物の内部(内部空間)は時空から見れば高次の射影空間になっている。この射影の実質を、ヌーソロジーは私たちが知覚の現場として経験している「奥行き」と考える。数学的にはこの最も基礎的な部分は虚時間itとしての4次元に対応している。
つまり、「奥行き」は射影のもとにミクロに収縮しているということだ。一方、客観空間としての時空の方は延長として弛緩している。この対比は、ベルクソン=ドゥルーズの物質論が示唆している文脈でもあるのだが、ヌーソロジーもそこは同じ考え方をしている。
問題は「奥行き」が持ったこの高次の空間構造を私たちがどのようにして看取して行くことができるのか、その方法論にある。ヌーソロジーでは、その地図作成が現在、現代物理学によって行われていると考える。
たとえ、量子重力理論や超弦理論のような万物の統合理論が完成を見ようとも、その先に「次量子力学系」なるものが存在している。
それは、人間の知性による物の内部への侵入である。能動知性(ヌース)はそのような物質知の手続きを通して、人間の歴史の中に出現してくる。そのときに、まさに人間の歴史も終止符を打つのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, ベルクソン, 奥行き