10月 17 2024
ヌーソロジーの素粒子解釈によく出てくる「超越論的無意識」とは?
意識について考えるときは、受動的な意識と能動的な意識というように、二種類の意識を想定して考えることが重要です。
能動的意識とは超越論的な意識のことで、受動的意識を働かせている側の意識のことで、通常、この働きは無意識化しています。
例えば目の前にあるリンゴを私たちが認識しているとき、その認識は受動的意識の働きによるものと考えましょう。
そのようにリンゴを認識サセテイルモノが背後にいて、それが無意識としてメタな次元で働いているわけです。
能動的意識が活動していなければ、当然、受動的意識も作動しない——そう考えるわけですね。
こうした能動的意識のことを、超越論的無意識と呼んでいると思ってください。要は「意識サセテイル意識」のことです。
⚫︎能動的意識は持続側で働いている
幅(延長的時空)ベースで構成されている意識はすべて受動的意識です。物質認識などの対象意識はその典型です。
能動的な意識は奥行き(持続)ベースでしか捉えることができません。というのも、意識サセテイルモノ側の働きは持続の中で活動しているからです。
⚫︎素粒子とは時空に射影された私たちの魂の姿
私たちが一般に「魂」と呼んでいるものも、この超越論的無意識のことと考えるといいと思います。つまり、魂が人間の経験的意識を作っているわけです。
ですから、ヌーソロジーの文脈では、素粒子とは時空に射影された私たちの「魂」の姿と言うことができます。
10月 18 2024
志向性の下に住まう精神
奥行きに持続を見る思考。これは奥行きが志向性とは別の次元を持っているということを意味している。
志向性にはまだ幅概念が混じっている。これがヌースに言う感性空間というやつだ。この感性空間の下に真の奥行きは眠っている。この奥行きこそが精神の「場所(トポス)」なのだ。
だからこそ、このトポスは志向性を一気に乗り越え、別のトポロジックな空間を私たちの目の前に展開する。それは世界の底に立つことに同じ。
ドゥルーズがいうように、このトポロジックな空間の登場が〈外〉と〈内〉という最も遠いものと最も深いものとを接触させる。そこでは、無限大=無限小であり、物理学的にはc(光速度)がi(虚数単位)へと転じる場所。
この場所において、魂たる素粒子の内部が人間の前に開かれるのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ