ウシロ、ウシ、物質

「後ろ」と聞くと、カタカムナの「トキトコロウシ」を思い出す。時間と空間とは「ウまれてくるウシロ(客観的背後)の示しという思念である」(相似象学会誌第四号p.121)

「後ろ」の語源は「丑(うし)」+「ろ」。「丑」は種子の中に止まるという意味。この種子は、おそらく言葉のことでもある。よくできている。「後ろ」は土中のように暗闇だということ。そこに時空を見てるのがわれわれ人間。まぁ、人間は鏡像に生きる生き物だから致し方ないんだけど。
要は後ろに意識を持って行かれているから、前に物質が現れている。

面白いことに、量子力学でも粒子の生成演算子はa†だ。つまり、後ろ(x-ip)。これは、ヌース的には、意識が後ろに向くと、前に粒子が現れるという仕組みだ。前(x+ip)に向くなら、粒子は消滅する(消滅演算子はa)。

よくよく考えれば、これは当たり前。意識が「前」に向くなら、「前」は自分自身であり、そこでは、見るものと見られているものの区別はなくなる。

⚫「幅から奥行きへ」の本意

鏡の魔術に囚われの身となり、何もかもが凝結した幻影と化してしまった空虚な世界。それが私たちが対象として経験している物質の世界だと考えるといい。
なぜこのような世界に幽閉されてしまったのか、もうその原因は察しがつくのではないだろうか。単に「前」が私たちの意識から行方不明になっているからに他ならない。
「前」を再構築していくこと。それも丹念に。そのために量子力学という学問が世の中に現れた。
そう考えるのがヌーソロジーだよ。