2月 2 2024
特異点の風景——人間の内面と外面の入口
ヌーソロジーの思考空間を何とかイメージとして表現できないか、ジピと相談しながら試行錯誤しています。これなんかはかなり分かりやすく描いてくれています。
人間の外面である「前」は量子空間、人間の内面である「後」は時空——。この境界が特異点です。直球ストレートで描いていますね。
人間の内面側に描かれた地球が赤く発熱して燃え始めている表現はジピのオリジナルです。彼なりのイマジネーションなのでしょうか。
【追記】
⚫︎「特異点=人間」の意味について
時空の外部に出ていくということは、特異点の中に入っていくということでもある。
ホーキングのいう虚時間の宇宙がそこにはある。ここは数学的には素粒子の発生とリンクしている場所でもある。持続空間はこの時間の虚化という出来事を入口に持っている。
私たち人間の本質は、この失われた虚的時間の世界にあると考えよう。
時空の始まりとされるこの特異点を虚時間の宇宙と連続的に滑らかに繋ぐこと。
それによって、物質を内から見ている世界が見えてくる。
物質を外からしか見れない時空にいては、ここに書かれてあることの意味は絶対に分からない。
2月 5 2024
光のスピン
光とは有機体。有機体とはカタチのない精神——ご存知、OCOTの言葉である。
光子はスピン1の粒子に分類されている。
特殊相対性理論によれば、光子はつねに光速で移動するため静止系が存在しない。これは光子のスピンが常に進行方向に沿っていることを意味している。
そのため、光子のスピンはその進行方向に対して「横向き」の成分を持つことができない。そして、この横向きの成分を持てないということが、光子の質量がゼロである原因と言われている。
この「横に向けない」、つまり直線から出られない、という光子の性質が、OCOTが「カタチのない精神」と呼んでいる所以だろう。
つまり、光子とは幅世界の中に落ちて、幅と同一化している私たち自身の奥行きのことである。
奥行きを差異化させること。そうすれば、光の外の光——カタチを持った精神が現れる。
ベルクソン風に言えば、無限に弛緩した精神。それが光の正体だと言っていいような気がする。
それは私たちが認識する空間とほとんど同意だ。空間の中を光が走っているというよりは、光によって時空は作られている。そう考えた方が真実に近い。
とすれば、光のスピンとは収縮した時間ということにでもなるのだろうか。質量への方向が持てない私たちの精神の姿・・・。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, ベルクソン, 特殊相対性理論