12月 22 2022
世界観の変革→自己意識の変革→社会意識の変革というのがヌーソロジーが予見しているこれからの時代変化のプロトコルなのだけど、逆に言えば、これは世界観が変わらない限り、社会は何一つ変わらんだろうな、という諦念の表明でもある。
もちろん、ここで言ってる世界観の変革とは世界のイメージを存在そのものの方向へと反転させるということを言ってるのだが、僕の頭の中では、それができて初めて自分自身を存在としての”自己”へと同調させていく道標が立つ。
社会が変わるのも、そのような”自己”たちがたくさん現れない限り不可能だろうと思ってる。バタイユの言葉で言うなら、「聖社会」の到来以外に、社会の変革などといったものはどこにも存在しておらず、それは常に何某かの権力が支配する旧態依然とした社会であることに変わりはないということだ。
まぁ、当たり前の話だが、聖社会が到来するためには、その前に聖なる自然と聖なる自己が登場する必要があるということ。しかし、自然の何が神聖なのかさえも僕らはわからなくなっている。少なくともそれだけは取り戻す世界観を作りたいものだ。
「ヌーソロジーの見る未来」 ― Nature (ネイチャー) から Physis (フィシス) へ ― noosclip
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 03_動画 • 0 • Tags: バタイユ
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
12月 22 2022
まずは世界観の変革を!!
世界観の変革→自己意識の変革→社会意識の変革というのがヌーソロジーが予見しているこれからの時代変化のプロトコルなのだけど、逆に言えば、これは世界観が変わらない限り、社会は何一つ変わらんだろうな、という諦念の表明でもある。
もちろん、ここで言ってる世界観の変革とは世界のイメージを存在そのものの方向へと反転させるということを言ってるのだが、僕の頭の中では、それができて初めて自分自身を存在としての”自己”へと同調させていく道標が立つ。
社会が変わるのも、そのような”自己”たちがたくさん現れない限り不可能だろうと思ってる。バタイユの言葉で言うなら、「聖社会」の到来以外に、社会の変革などといったものはどこにも存在しておらず、それは常に何某かの権力が支配する旧態依然とした社会であることに変わりはないということだ。
まぁ、当たり前の話だが、聖社会が到来するためには、その前に聖なる自然と聖なる自己が登場する必要があるということ。しかし、自然の何が神聖なのかさえも僕らはわからなくなっている。少なくともそれだけは取り戻す世界観を作りたいものだ。
「ヌーソロジーの見る未来」 ― Nature (ネイチャー) から Physis (フィシス) へ ― noosclip
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