4月 4 2022
Φ=WHY? ヌーソロジーについて語るときのkohsenさんの立ち位置ってホント大変だと思うんですよね。長年kohsenさんウォッチャーをやってると、昔と比べて、kohsenさんのOCOT情報解析はますます進んでいて、格段とその精度は上がってきていることを感じます。 ……………………… Φさん、ありがとうございます。大変です(笑)。多分一番大変なのはヌーソロジーが持った問題意識がなかなか伝わらないというところです。僕自身はOCOT情報が要請するゲシュタルト変革の方法論を提示していくことがヌーソロジーの真髄だと思っているのですが、このことの意義がなかなか伝わらない。 この問題意識は哲学の言葉で言うと、認識論→存在論への移行を意味しますが、存在論という考え方自体、世間一般にはほとんど浸透していないので、この辺のカベは本当に厚いです。
OCOT情報の一番のキモは、4次元認識がこの存在論の思考に直結していると断言しているところです。つまり、見るものと見られるものを分けない、文字通り、自然と人間が一体となって活動している視座が4次元認識において初めて与えられてくると言ってるところ。 4次元という数学概念と存在論という哲学概念がそこで重なり合うのが何と言っても魅力的で、しかも、ここに物質の成り立ちと精神の関係や、自己意識の発生の問題などもダイレクトに関わってくるので、それこそ、この4次元認識は科学と哲学の垣根を取り去る可能性を秘めている。 それどころか、対象なき世界の認識が生まれることによって、自己もまた自動的に変容を蒙り、自然のなかにおける自己の位置や役割が高次元の経験によって観えるようになってくる。実際、このことをOCOT情報なんかは「人間の意識進化」と呼ぶわけです。 ただ、この対象なき思考というのが、対象思考しか知らない僕たちにはキツイ(笑)それに加えて、この思考を進めていくための信頼できる正確な補助線は、残念ながら自然界においては素粒子構造の中にしか現れていない。そこがまたダブルパンチでキツイ(笑)
素粒子世界が3次元認識で描像できない理由もまさにそこにあるわけで、裏を返せば、その描像の達成のみが、人間の精神を自然の本性へと回帰させていくというカラクリになっている。OCOT情報のシナリオではですね。そして、そのシナリオの実現に忠実に挑んでいるのがヌーソロジーなんです。 今流行の言葉を使うなら、本来的なメタバースへの移行ということになると思います。人間の対象意識がメタバースなるものへと移行しようとしていることの反動だと考えると分かりやすいかもしれません。以前UPした「西田幾多郎」(永井均)に掲載されていた図を使ってその関係性を示しておきます。 この図からもすぐに分かるように、ヌーソロジーの考え方では、メタバース空間というのは存在の循環からの逸脱にあたります。ただ、その逸脱があるからこそ存在への回帰も可能になるということ。コンピュータのようなものが出てきたのも存在史的必然だということなのでしょう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報
NOOS ACADEMEIA
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ヌーソロジーサロン
ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
4月 4 2022
なぜ、メタバースなるものが登場してきたのか
Φ=WHY?
ヌーソロジーについて語るときのkohsenさんの立ち位置ってホント大変だと思うんですよね。長年kohsenさんウォッチャーをやってると、昔と比べて、kohsenさんのOCOT情報解析はますます進んでいて、格段とその精度は上がってきていることを感じます。
………………………
Φさん、ありがとうございます。大変です(笑)。多分一番大変なのはヌーソロジーが持った問題意識がなかなか伝わらないというところです。僕自身はOCOT情報が要請するゲシュタルト変革の方法論を提示していくことがヌーソロジーの真髄だと思っているのですが、このことの意義がなかなか伝わらない。
この問題意識は哲学の言葉で言うと、認識論→存在論への移行を意味しますが、存在論という考え方自体、世間一般にはほとんど浸透していないので、この辺のカベは本当に厚いです。
OCOT情報の一番のキモは、4次元認識がこの存在論の思考に直結していると断言しているところです。つまり、見るものと見られるものを分けない、文字通り、自然と人間が一体となって活動している視座が4次元認識において初めて与えられてくると言ってるところ。
4次元という数学概念と存在論という哲学概念がそこで重なり合うのが何と言っても魅力的で、しかも、ここに物質の成り立ちと精神の関係や、自己意識の発生の問題などもダイレクトに関わってくるので、それこそ、この4次元認識は科学と哲学の垣根を取り去る可能性を秘めている。
それどころか、対象なき世界の認識が生まれることによって、自己もまた自動的に変容を蒙り、自然のなかにおける自己の位置や役割が高次元の経験によって観えるようになってくる。実際、このことをOCOT情報なんかは「人間の意識進化」と呼ぶわけです。
ただ、この対象なき思考というのが、対象思考しか知らない僕たちにはキツイ(笑)それに加えて、この思考を進めていくための信頼できる正確な補助線は、残念ながら自然界においては素粒子構造の中にしか現れていない。そこがまたダブルパンチでキツイ(笑)
素粒子世界が3次元認識で描像できない理由もまさにそこにあるわけで、裏を返せば、その描像の達成のみが、人間の精神を自然の本性へと回帰させていくというカラクリになっている。OCOT情報のシナリオではですね。そして、そのシナリオの実現に忠実に挑んでいるのがヌーソロジーなんです。
今流行の言葉を使うなら、本来的なメタバースへの移行ということになると思います。人間の対象意識がメタバースなるものへと移行しようとしていることの反動だと考えると分かりやすいかもしれません。以前UPした「西田幾多郎」(永井均)に掲載されていた図を使ってその関係性を示しておきます。
この図からもすぐに分かるように、ヌーソロジーの考え方では、メタバース空間というのは存在の循環からの逸脱にあたります。ただ、その逸脱があるからこそ存在への回帰も可能になるということ。コンピュータのようなものが出てきたのも存在史的必然だということなのでしょう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報