1月 13 2022
再度、元初へ―「すべての創造の始めに”分離”が始まった」
以前からどうしても読みたかったハイデガー本をようやくゲット。ハイデガーがプラトンの「洞窟の比喩」について自身の存在論の立場から詳しく語ったもの。高価な本だったので手が出なかったけど、ヌーソロジーサロンのスタートがうまく切れたご褒美としてゲットさせていただきました。
今どき真理なんて言葉を使う人は滅多にいないね。知識人になればなるほど嫌う。ほんとにそれでいいのだろうか。
OCOTとのチャネリングがなかったら、ドゥルーズもハイデガーも多分読まなかっただろうな、という正直な告白(笑)
これからは人間が物となっていく時代。存在はすでにその方向へと舵を切っている。ただ、物への方向は同時に物質の方向への反映も作り出す。それによって人間という領域はなくなり、物の内部方向か、物質の内部方向か、というように意識は二つに分離していく。まずはそのことを意識化することが大事。
分かりやすくいうなら、もう人間の意識での外感覚と内感覚の葛藤の時代は終わり、外の外と、内の内へと分かれていくといった感じだろうか。二つの方向を見極める視力が必要。この両者は似て非なるものなので。
「存在は性起のうちで消滅する」というハイデガーの言葉がある。これは宇宙を生み出した大元の力は、自然を物質として表現した時点で自らは姿を潜めるという意味だ。いわゆる隠れ神のことと言っていい。しかし、これからは逆のことが起こってくる。すなわち―存在者は逆-性起のうちで消滅する。
消滅と言っても決して蒸発して消えてなくなるわけじゃない。存在と存在者とのズレが解消されていくのだ。見るものと見られているものの融合が起こりだすと考えるといい。OCOT情報はそのような世界を支配する力のことを「無核質」と呼んでいる。例によって、超クール(笑)
ハイデガーが”真理”と呼んでいるものは、この「無核質」に対応している感じがする。彼の言葉で言うなら、アレーテイア(非隠蔽性)というやつだ。もはや隠されていない……存在が露わに姿を表すということ。世界の隠れなさ。
普通は、「何言ってんだ、お前、世界は隠れてなんかいないじゃないか。ちゃんと目の前にありありと現れているじゃないか」と思うだろう。確かに、対象としてはそうだ。ハイデガーがいう非隠蔽性とは、それが対象知ではなく、自己知として見えている状態のことを指していると考えるといい。
要は、世界とは自己自身なのだ。しかし、それが対象として見えている限り、それは隠れている。隠されている。そういうことだ。
世界を対象知から自己知へと変えていくために、私たちはどのような思考を作り出せばいいのだろうか。残念ながらハイデガーは問題指摘をしただけで、その具体的な方法は示していない。それは時の問題であるかのような言い方をしているだけた。この辺りは仏教の正法、像法、末法という考え方に近い。
ヌース的に言えば、正法とは感性の時代(原始土地機械)、像法とは思形の時代(専制君主機械)、末法とは中性質の時代(資本主義機械)という感じか。日蓮なんかは末法は万年続くと言ってるが、OCOT情報は再び、正法を生み出した世界に戻ると言う。ハイデガーはそれを”別の原初”って呼んでる。/()内はドゥルーズ=ガタリの用語。
世界が対象に見えないようになるためには、見ている自分と見られているものが一つにならないといけない。時間と空間の中で存在者をイメージしている限り、それは不可能だ。だから、別の原初への欲望を持った思考はまず、この時間と空間から出ることを決意する。
1月 24 2022
メタアースで送る非日常的な日常
存在の鋳型というものがあるのなら、それは〈行って-帰る〉ことにあると言えるだろう。この〈行って-帰る〉はフラクタルである。陽子が行くことなら、中性子は帰ること。男が行くことなら、女は帰ること。君が行くことなら、私は帰ること。私たちは未だ行くことさえも知らない。
OCOT情報が「次元の交替化」と呼んでいるものも、この〈行って-帰る〉という存在に内在する運動のことだ。他者存在と自己存在の間で常に行き交う存在の血流のことと言ってもいい。そこでは行くことは帰ることでもあり、かつ、帰ることは行くことでもある。
このような〈行って-帰る〉ことを経験した意識の前に出現してくるもの。それをOCOT情報は「真実の地球」と呼んでいる。別名オリオン星。オリオン星などと言ってしまうと、どうしようもなく胡散臭さが漂うものだが、OCOTの口から出ると、何やら詩的に聞こえる(笑)
この〈行って-帰る〉プロセスを知らないものが「地球」であり、そこに生きる人間という存在だと考えよう。「嘘の地球」と言っていいかもしれない。中身のない地球。空っぽの地球。未だに地球化していない地球。それは地球を単なる物質としてしか見ず、精神化させられていない現在の人間のことでもある。
地球をこの「真実の地球」へと精神化させていくために働いているのが太陽系のようだ。太陽系はその意味で、地球に始まって地球に終わる。そこに大系観察子というヒトの意識構造が働いている。「宇宙には太陽系しかない」というのも、太陽系が存在の内部構造を受け持つ諸器官のようなものだからだろう。
じゃあ、太陽系外部の恒星って何よ?という話になるのだが、OCOT情報では、それはさっきの言い方をするなら行って帰ってくるものたちの意識の痕跡に当たるらしく、「ヒトの性質」という言い方をしている。これが人間における無数の自己意識を支えているという。太陽が行きなら恒星は帰りだということ。
そして、このような恒星の集まりである銀河系は「真実の地球」の反映のようなものだと言っている。地球という大地の内なる精神を支えているのは実は銀河系なのだと。つまり、存在の秩序の中で、この幅の空間の中に反転して表現されているわけだ。
シュタイナーとタメを張るような壮大な宇宙像に目眩がする思いだが、こうした超絶的な言明の背後にある存在のリアルを執拗に追い求めることが自分の日常になっているという・・・生きててよかった(笑)
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, シュタイナー