12月 17 2014
ヌースレクチャー#3のためのドゥルーズ哲学の予備知識——その2
2.ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリってどう違うの?
たぶん、最初にドゥルーズに触れる人が混乱するのは、ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリという二つのタイプのドゥルーズじゃないかなぁ。
ドゥルーズのフルネームはジル・ドゥルーズ。一方、ドゥルーズ=ガタリというのはジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリのデュオ名。ドゥルーズ=ガタリというのは言ってみれば、レノン=マッカトニーのようなものと考えるといいかな。1960年代まで、ドゥルーズは哲学史家として活動し、その集大成として『差異と反復』を著して、ドゥルーズ哲学の母胎を作り上げたのだけど、70年代に入ってからは、このガタリという人物と共同執筆を開始するのね。その一発目が『アンチオイディプス』という著作で、これが思想界にセンセーションを巻き起こしたんだね。それで一躍、ドゥルーズ=ガタリの方が有名になっちゃった、という経緯がある。
ドゥルーズ=ガタリの思想には、当然、ガタリのサウンドが入ってきてるから、ソリストとしてのドゥルーズとは大きな違いがあると僕なんかは感じてます。ガタリという人は哲学者ではなく、本職は精神分析医で、それもかなり過激な社会活動家だったのね。もともとはラカンの弟子だったんたけど、ラカンのブルジョア的な精神分析を嫌って論敵と見なすようになっちゃう。ラカンとの対立軸は明確で、ラカンが「無意識は一つの言語活動として構造化 されている」と考えたのに対して、ガタリは「無意識は言語のように構造化されてなどいない」 と考えてた。ここがラカンを忌々しく思っていたドゥルーズとピッタリ波長が合ったところだったんじゃないかな。ガタリにとっては、精神病は社会や経済システムが引き起こす病であり、精神病の治療もまた社会全体を変えていくところからしか始まらない。だから、当然、政治的なものへとコミットメントしていく。
でも、こうしたガタリにドゥルーズがなぜあれほど入れ込んだのかは、ちょっと謎。『差異と反復』までのドゥルーズにはおよそ政治的な臭いはなかったから。当時の時代状況を考えると、フランスでは学生の大規模なストライキに労働者たちも参加して五月革命というのが起こった。こうした政治的動乱を目の当たりにして、自分の哲学の方向性を少し考え直すところがあったのかもしれない。ドゥルーズがガタリと出会ったのはこの五月革命のすぐ後だったんだよね。それでガタリのビチビチした思考線に触発され、そこに自分自身の思想をミックスして、政治的なものの中へと入っていく大いなる実験を試みたのかもしれない。
それで、何でもいいから、今考えていることを書いて、自分のところに送れってドゥルーズはガタリに言うんだね。そして、送られてきたガタリの走り書きのような論稿をそれまで培ってきた自分の重厚な哲学的知識で、一気にフォローUPして、一冊の書物に仕上げていく。ガタリの一匹狼的で半ば狂人とも思えるようなワイルドな強度たっぷりの思考線に、ドゥルーズの成熟した哲学的思考がピッタリと寄り添って並走していくわけだ。こりゃすげぇーに決まってる。それで『アンチオイディプス』という本が世に送り出されることになる。そして、当時の思想界に一大センセーションを巻き起こす。
だから、当然、ドゥルーズ=ガタリの著作の方は、それまでのドゥルーズ単独の著作に比べて政治的色彩が強いものになっている。実際、読んでみると分かるけど、ガタリの言葉のセンスというのが、センス抜群というか、かなりスタイリッシュでね。「原始土地機械」だとか、「脱コード化」だとか、「スキゾ分析」とか、「リゾーム」だとか、「アレンジメント」とか、とにかく、シャープでキレキレなわけ。実際、文体も既存の堅苦しい哲学のスタイルをブチ壊して、極めてアバンギャルドでPOPなものだった。まさに、思想界のサージェントペパーズといった感じ。これは若い連中はヤラれちゃうでしょ。当然のごとく、このスキゾスタイルが単に哲学分野に限らず、アーティストたちなんかにも熱狂的に受け入れられていくんだね。それが浅田彰氏の紹介によって80年代に日本にもはいってくる。
で、問題のドゥルーズとドゥルーズ=ガタリの違いだけど、個人的には”別物”と考えた方がいいと思ってる。ドゥルーズは晩年は、ガタリとの協働作業を終えて、再び、静謐な観念の哲学者へと戻っちゃう。あくまでも、非人間的なもの(同一性に依拠しない脱-表象化の思考体)を目指す哲学に戻るってことだけど。ドゥルーズ=ガタリに見られるドゥルーズは政治化したドゥルーズであり、社会にコミットメントしたドゥルーズと言っていいんじゃないかな。どちらも、もちろん大事なんだけど、個人的には非人間的なものを思考によって追求していくドゥルーズの方がドゥルーズの本来、という感じがするし、哲学本来の哲学という意味でも、一層、魅力的です。ヌーソロジーと噛み合うのも、もちろん、この非人間的なものを目指すドゥルーズの方です。
(走り書きも同然なので、細かい突っ込みはナシね)
12月 24 2014
ヌースレクチャー#3のためのドゥルーズ哲学の予備知識——その3
3.ドゥルーズが研究した哲学者たちとそのキーワード・「ヒューム」/経験論」
『差異と反復』を発表する前の初期のドゥルーズはヒューム、ベルクソン、スピノザ、ニーチェといった哲学者たちの思想を研究していったんだけど、『差異と反復』で結晶化してくるドゥルーズ哲学の形(なり)を見ると、ドゥルーズは半ば確信犯的にこれらの哲学者たちを追いかけていったのだな、ということが想像されてくるんだよね。ここで「確信犯的」と言ってるのは、ドゥルーズには実は最初から自分が構築していくべき哲学のビジョンというものが明確にあって、その構築に向けて必要となる哲学者たちをチョイスし、これから自分が作り上げるべき思想に沿って、彼らの思考の足跡を分析、解釈していったふしがある、ということなの。麻雀で言う「決め打ち」ってやつかな^^。そして、引きが強いドゥルーズは自分の直感通りに牌を引いてきた。もちろん、最終的に「ロン!!」というところまでは行けなかったのだけど、僕的にはドゥルーズは役満をテンパってると思ってる。あとは世界が当たり牌を振り込んでくれるのを待つのみってところ。そこでウラドラの役割を果たすのがヌーソロジーかもしれない。。上がりのオマケがポコポコついてくる。ダブル役満!! トリプル役満!!\(^o^)/ ってな感じで(笑)。
で、若き日のドゥルーズが「確信犯的」に何を目論んでいたのか、ということなんだけど、これは一言でいうなら「主体性の哲学からの脱却」と言っていいと思うよ。「主体性の哲学」とは、簡単に言えば、いつも「オレ、オレ」とか「わたし、わたし」といった囁き声が中心にあって、そうしたかしましい自我中心体から抜け出ることのできない思考から組み立てられた哲学、のこと。「われ思うゆえにわれあり」と言い放ったデカルトの哲学などはその典型だね。こうした自我中心の哲学を解体すること。ドゥルーズの思考はスタートから、そこだけに照準を向けて蠢めき出したように見えるんだよね。
そこで最初に研究したのがヒュームという哲学者だった。何でヒュームかというと、ヒュームは「経験論」の哲学者として「合理論」の哲学者であるデカルトを徹底して批判してたから。経験論とは、一言でいえば、主体は経験によって立ち上がってくると考える哲学のこと。デカルトのように「我」が理性とともに最初から意識を支配しているのではなく、主体(人間の心)というものは、本来、経験の寄せ集めのようなものでしかなく「知覚の束」として立ち上がってくるとする考え方。「わたし」が世界を経験しているのではなく、世界の経験が「わたし」を作ってるという考え方だね。
こうした経験論の哲学で重要視されるのは、理性によって客観化された世界の事物云々ではなく、主観によって現実的に経験されている知覚世界の方であり、またその知覚とともに活動している情念の力の方ということになる。実際、ヒュームは「理性は情念の奴隷であり、そうあるべきである」とまで言ってるんだよね。そして、否定しがたい事実として、僕ら生身の人間にとっても、情念の力の方が理性の力よりもいい意味でも悪い意味でも勝ってるというのは明白なところ。ここに、すでに主観的なものの方向に意識の脱出口を求めるドゥルーズの思考の萌芽があるんだよね。「合理論」より「経験論」の重視。客観(理性)より主観(感性)の重視(正確には「主体なき主観」といった方がいいけど)。これがまずドゥルーズの第一の立ち位置と思ってもらえばいいよ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, ドゥルーズ関連 • 0 • Tags: デカルト, ドゥルーズ, ニーチェ, ヒューム, ベルクソン, 差異と反復