4月 8 2016
天空的分身と元素的なもの
3次元射影空間のカタチはこれからの時代の空間認識の足場となるものなので、ヌーソロジーに関心がある人はしっかりと学習してほしい。これはドゥルーズ的にいうなら、大地へと屈曲された物質的身体をイマージュの身体へと直立させていくための思考の雛形のようなものだ。
イマージュの身体とは持続空間としてある身体性のことであり、一言でいうなら「魂」ってこと。
この力技によって、己の天空的分身を元素的なものへと接続させることが可能になってくる。より直裁的に言うなら、このカタチは物理学者たちが物質粒子(クォーク)と呼んでいるもののカタチであり、このカタチが世界を太陽的形象の内部へと垂上させるためのエントランスのようなものになっている。
おそらく、その意味を持ってと思うのだけど、OCOT情報はこのカタチのことを「垂質」と呼んでいた。時空から垂直方向に浮上する力、といったような意味だね。
このカタチが純粋思考を通じて感覚の中に彫塑されてくると、地球から我が物顔で空間を押し広げていた物質の勢力を意識から去勢することができてくる。去勢は可哀想だな。従属ってことにしとこう。魂側がメインで、延長空間は従属物に変わるってこと。
身体の時と同様、屈曲された物質的地球がイマージュの地球、地球自身が持ったイマージュの空間へとわれわれを導いてくれるのだ。そこに出現してくるのがさっき言った太陽的形象というヤツだと考えるといい。いわゆるpp連鎖反応というやつだ。核融合ね。
科学者たちが小難しく言っているpp連鎖反応というのは、僕ら各々の天空的分身が太陽側へと折り返され、エーテル凝縮を行っているものにほかならない。空を見上げたときの奥行きが太陽の中心側に反転して現れたものだってこと。
プラトン立体とはこのエーテル凝縮の中で働いている魂の組織化のための幾何学体であり、それは太陽的形象と同意。つまり、プラトン立体とは太陽そのものだということ。
君も延長の空疎な深さから逃れて、まずは表面に出ることを心がけよう。そこから持続の深みへと直立し、そこにカタチを見出していこう。そうすれば、君にも太陽の都市であるこのプラトン立体が見えてくるに違いない。
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下写真はドゥルーズの著作の中でも一番好きな一冊である『原子と分身』。ここで言っている「直立」の意味が詳しく書かれている。丹生谷貴志さんの素晴らしい訳も手伝って、ドゥルーズ「文学」の最高峰となっている。
1月 30 2017
資本主義機械にバグは起こり得るか
ドゥルーズ=ガタリは無意識の位相を「欲望する諸機械」と「器官なき身体」の二つに分けた。人間の歴史は「欲望する諸機械」によって生産の生産、登録の生産、消費の生産として駆動してきたとし、こうした生産機構を原始土地機械、専制君主機械、資本主義機械と呼んだ。
これらは人間における三つの体制を作り出す三つの無意識脳と言える。分かりやすく言うなら、母性脳、父性脳、オイディプス脳と順に言い換えてもいいだろう。多神教的(生産)なものから一神教的(登録)へと移り、そして神を主体の中に理性(人間性)として内在化するオイディプス(消費機械)へと至る。
父を殺し、母を犯す。これがオイディプスの宿命なわけだが、資本主義の横暴を見る限り、この神話的象徴化は見事に当たっている。神を抹殺し、自然を凌辱して突き進む資本主義機械が持った消費の生産に対する尽きることのない欲望。これらの転変を僕らは文明の進歩と呼んでいるわけだ。
ドゥルーズ=ガタリの予想によれば、この無意識の流動は資本主義機械の位相を最後に「欲望する諸機械」から「器官なき身体」へと反転する。永遠回帰のドゥルーズ=ガタリ的表現だ。他者構造から自己構造へ。受動的なものから能動的諸力へ―ということだろう。これは宇宙的な性倒錯の是正、もしくは運命愛の奪還と言ってもいい。
ドゥルーズ=ガタリは明言しなかったが、「欲望する諸機械」とは「器官なき身体」の転倒によって作動していた、とするのはどうだろう。シオリズム的に言うなら、カムナがアマナを抱っこしたままで、アマナを内から支えることを思い出せずにいた、ということになるのだが。
そこで、「アマナを内から支えるとは一体どういうことか」が問題になる。それはわたしが他者の視線によって支えられているのと同様、わたしの奥行きが他者の経験的自我を支えているということを知るということ。そのことに他ならない。世界の裏地を知るとはそういうことだ。
いや、ただ知るだけでは力は生まれない。そこで展開されている四つ組みの構造が物質の基盤となる素粒子たちの本性だというコンセンサスを科学のコミュニティーが見出すこと。これによって知性は物質の腹わたを内側から食い破り有機体的生を破裂させ、器官なき身体の位相へと流れ出ていくことができる。
資本主義機械は絶えず外部を開こうとする欲動を持っている。しかし、同時に力を内部へと回収し、抑制-抑圧する機構も装備している。民主主義に始まり、労働組合、規制緩和、そしてTPP等etc。全体の自由度が高まるほどまた個への抑圧も強くならざるを得ないという何ともアイロニックなシステム。
こうしたフィードバックのシステムをドゥルーズ=ガタリは公理系と呼ぶ。解放と束縛の間を反復する成長螺旋。これが資本主義の公理というものなのだろう。ここにおいて物質的現実と霊的夢想は常に切断され、夢は常に単なる消費の中へと引き戻される。
わたしたちの高次世界への希求が音楽や映画や文学などを通して消費されていくのも、その抑制-抑圧の一種だと言えるのかもしれない。内破への圧力はこうして常に制御され、器官なき身体への進入を阻止し続ける。
この資本主義機械の回路の中に何か異性体を混入させる術を考えないといけない。それが流通することによって資本主義機械自体がバグを起こすような異性体を。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, ドゥルーズ関連 • 0 • Tags: ドゥルーズ, 資本主義