12月 23 2020
ヌーソロジーから見た「ものの立ち現れ」の次元
過去と現在は、連続する二つの時間を示すのではなく、共存する二つの要素を示している。その二つの要素の一つは、絶えず過ぎていく現在であり、もう一つは決して存在を止めることはないが、それによってすべての現在が過ぎていくところの過去である。
ドゥルーズ 「ベルクソンの哲学」P.60
「すべての現在が過ぎていくところの過去」とは、「決して現在であったことのない過去」とも言われるもので、時間が生まれる前の過去のことです。ドゥルーズは「純粋過去」という言い方もしますが、要は僕がいつも言ってる時間のない「持続」世界のことと考えてください。
ここに書かれてある感覚を作るのは、自分の中に息づく持続感覚を確認する意味でもとても大事です。ただ、欲を言えば、現在から持続を感じ取るだけではなく、そこからさらに、持続側から現在を見る感覚が作り出せてくると、そこに、ものの立ち現れの次元が見えてきます(何段階かの思考プロセスが必要になってきますが)。
ベルクソン=ドゥルーズの哲学的な観念だけではたぶん抽象的すぎて非常に心許ないので、ここに空間構造を与えて、存在論の空間認識化を図ろうとしているのがヌーソロジーです(OCOT情報を執拗に解き明かしていった結果、こういう結論になった)。
ドゥルーズがここで言っている内容をヌーソロジーの空間構造に翻訳するとこんな感じになります(下図参照)。
【1】連続する時間における過去と現在の位置
【2】絶えず過ぎて行く現在
【3】すべての現在が過ぎて行くところの過去
【1】と【2】は、3次元空間を瞬間として次々に生み出してくる受動的時間に当たります。
一度、【3】の中に入り、そこから持続を能動的時間に変えて出現させること。そうすると、自分の心の中から時間と空間が生まれてくる感覚が生じてきます。その経験を行なわせている場所が、以前示したブロッホ球だと考えるといいと思います。正確には自己と他者が互いにブロッホ球として出会うことところですね。ヌースがいつも「内的共同体」と呼んでいるものです。
この出会いが起こると、自分が物質とともに世界に光となって出現してきている感覚が生じてきます。そこに生じてくるのが能動的時間感覚です。これは受動的時間を人間に与えていたもの側の世界だと考えていいと思います。ヌースにおいて「いずれ人間は物になる」とはそういう意味です。
私は物となり、そこから物の立ち現れとしての時間そのものとなった―。
ここでは哲学的な表現をしていますが、この記事の意味は物質を霊化していくためのヌーソロジーからのアプローチと言ってもいいでしょう。青と赤で表現された4次元方向の奥行きの働きは自他では真逆に構成されていて、双方からこのような空間認識が開始されることによって、4次元空間の中で産霊(ムスビ)が起こり、そこから物質の霊化が起こってくるというシナリオです。
先は長いですが、もう始まってますよ。


11月 16 2021
ハイデガー哲学はヌーソロジーから見るとどのように見えるか
物を本来的な在り方へと戻すこと。
物質は物の非本来的な在り方でしかない。
物が本来的在り方へと戻るためには、
時間が本来的在り方へと戻らなければならず、
物と時間が本来的在り方へと戻ることによって、
初めて自己も本来的な在り方に戻る。
ハイデガー哲学の骨子とはそういうもの。
ハイデガー哲学はすごく難解とされているが、ヌーソロジーから見ると、これは以前紹介した4次元世界におけるスリングショット構造のことを語っているように見える(下図参照)。
つまり、時空から一度、虚時間宇宙へと反転し、そこから再度、時空へと反転して戻ってくる眼差しを作るということだ。この一連のプロセスによって、物も自己も本来的な在り方を取り戻す。
ここで虚時間宇宙と言ってるのは複素2次元空間の一般化のような意味だと考えていい。実際には素粒子の内部世界のことである。素粒子とは物の始原のことでもあるわけだから、つまるところ、ハイデガーは意識の発生と物の発生を同時と見なす位置(根源)へと、私たちが生きる場所を戻そうとしているのである。
この位置に出てこそ、私たちは初めて物についての正しい問い立てができ、そこでの主客一致の思考が物の生成(フィシス)へと結びついていくわけだ。ここにおいて空間が開き、本当の時間が時熟として現れる。早く、この位置に出よう。ヌース的にはここが覚醒期の世界だからね。
もっとも、ハイデガーの場合はこのスリングショットの場所で混乱を起こしていて、非本来的自己の次元で生み出された歴史性や民族性といった残滓を引きずったままで、本来的自己へと戻ろうとしてしまった。だから、後期は話がうまくまとめられなくなって、ヘルダーリン的世界へと赴かざるを得なくなった。
ドゥルーズなんかもそこを批判するわけだ。もっとも、ドゥルーズの場合は、この本来的自己は「非人称の主体」という自己ならざる自己へと生まれ変わっていて、そこに立ち現れたノマド的生成空間の中を別様の他者とともに輪舞を踊りながら疾走していく。
ヌーソロジーもこの世界に近い。ただ、ドゥルーズのような荒っぽいダンスではない(笑)
By kohsen • 01_ヌーソロジー, ドゥルーズ関連, ハイデガー関連 • 0 • Tags: ドゥルーズ, ハイデガー, 素粒子