1月 20 2010
重みの本質
「魂の自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。」——シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』
重力を供給してくるもの。それはモノである。モノとは一つの重み。そして、われわれはそこに生じる重みに抗うように生きている。大地に立つことも歩行することも話すことも笑うこともセックスすることもすべてが重みへの抗いである。肉体がモノの範疇であるかぎり、僕ら人間の生そのものが重力へのささやかなる抵抗であると言える。
なぜモノが現れるとそこに重みが発するのか。重みがどこからやってくるのかという問いかけはモノがどこからやってきたのかという問いかけに等しい。空気の重み、水の重み、石の重み、そして金属の重み。こうした様々な重みの元はすべて星からやってきたものだ。モノの故郷はすべて星なのである。
星にはどこまでの重みを与えることができるかによって幾つかの種族がある。第一の種族は水素とヘリウムまでの重みを与える種族。第二の種族は酸素までの重みを与える種族。第三の種族はマグネシウムまでの重みを与える種族。第四の種族はケイ素まての重みを与える種族。第五の種族は鉄までの重みを与える種族。その先もあるが人間の魂を語るにおいてはこの第五の種族まででこと足りる。星とはいわば天使の痕跡である。重い星ほど存在の高みに位置する天使だ。人間の世界においてはこうした天使世界の高みは物質世界の重みへと変えられている。つまり、重みとは天使と人間とを隔てている距離なのである。
鉄の塊を持ったとき、身体を覆い尽くすあの重みの感覚。その感覚の中に今のわたしとほんとうのわたしとの距離がある。それはこの地上とあの星々との距離でもあるだろう。この距離は魂の歩行によってしか埋めることはできない。
4月 28 2011
圧倒的な暴力の彼方に
「二度あることは三度ある」とはフクシマのために用意された言葉なのだろうか。スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマ——。このフクシマが「三度の目の正直」ならば、事態はおそらく予想通りの展開を見せていくことになるだろう。それが最善のシナリオなのか最悪のシナリオなのかそんなことは問題ではない。事態はとにかく予想通りの展開を辿り、いい意味でも悪い意味でも人間の歴史はこのフクシマを不連続点として別の時間軸へと移行していくはずである。なぜなら、現在、フクシマから進行している地球規模の放射能汚染とは存在の裂け目の地上への降臨にほかならないからだ。
核分裂がウラニウムから生起するということの意味について考えてみるといい。ウラニウムとは自然界が生み出した最終的な元素である。「上にあるが如く下にかくあり」というヘルメス知を持ってこのウラニウムの正体を探るならば、それは存在世界自体を支える全精神体の影のようなものと言える。核分裂とは文字通りこの全精神体を分裂させようとする力の介入である。それは存在の引き裂きと言い換えてもいいだろう。存在の裂け目が開くとき、そこには深淵が顔を覗かせる。ポストフクシマというこれからの時間において人間の先に待っているのはまさにこの深淵なのである。
全精神体の引き裂きとそこで流される夥しい量の精神の血を直視すること。われわれは今まさに殺害されつつある神を目撃しているのだ。刺客は他ならぬわれわれ人間自身が持った物質的欲望である。言うまでもないことだが、神の活力が死に至らしめられれば生命の秩序は木っ端みじんに解体されていく。事実、核分裂がもたらす放射能の暴力がいかに圧倒的なものであるかをわれわれはすでに知っている。連中には空間も時間も関係ない。連中は音も光も熱も発することなく、ただただ冷徹に地球が長年にわたって育て上げてきた生命の調和をその根底から切り裂いていく。その冷血さの中にプリンス・オブ・ダークネスの姿を見るのは容易い。
放射能が虚無の嫡子であるのであれば、歴史の中で行使されてきた最良の精神たちに対するすべての暴力、すべての陵辱は、今、フクシマで起きているできごとの中に集約されていると考えることもできる。できごとにおいては無意識の潜在的な構造がその症状を繰り返し現実の中に表現してくるのであり、その意味において歴史上で行使されてきたありとあらゆる暴力はすべて同じ暴力なのである。なぜなら、存在の裂け目が神の傷であるならば、それは常に一つなのだから。傷はどこからやって来るというものでもなく、神と同じく「ありてあるもの」なのであり、歴史の終わりに当たって、それは神の出現と共に露になるべきものだからである。
われわれはこれから出現してくるであろう深淵において、この圧倒的な暴力の正体を自らの意思によってあばかなければいけない。この暴力の由来をあばくことによって、われわれはまた歴史上で行使されてきたすべての暴力をあばくことができるのだ。さて、結果が最善のシナリオとなるか最悪のシナリオとなるのか、そんなことは問題ではない。事態はとにかく予想通りの展開になるだろう。これは最終戦争なのである。
By kohsen • 10_その他 • 5 • Tags: 原発問題