9月 26 2014
SFノベル『Beyond 2013』(5) -NOA、および、ヌース理論-
記録によれば、CETの初歩的な実験が最初に行われた場所は、「NOOS ACADEMEIA」と呼ばれる小さなカレッジだったとある。すでに気づいている者たちもいるかもしれないが、「NOOS ACADEMEIA」とは、わたしが現在、所属しているNOAの前身の呼称だ。後世の人々は、この「NOOS ACADEMEIA」が21世紀前半に行った作業を、旧約の登場人物であるNoahの所作になぞらえたのだ。
NOAの草創期の研究者たちは、物質、生命と意識との弁証法的統合を目指す「ヌース理論」という宇宙論の研究者たちの集まりだった。彼らは、この「ヌース理論」を通じて、POS(プレアデス-オリオン-シリウス)回路のプロトタイプとなる「コーラ・ホール」を発見し、人間の思考力を光子-電子の位相振動や、DNAのヌクレオチド配列に直結させることに成功した。もちろん、初期のシンクロ率はかなり低レベルのものだったが、この成功によって、CETの具体的な技術化への扉が開いたことに変わりはない。
POS回路は、20世紀末の物理学では11次元のM理論に原型があったが、それらが意識構造を示すものだと看破していたのはNOAの研究員たちだけだった。当時は、だれも素粒子世界の対称性群がDNAと共鳴しており、かつ、それらが人間の言語機能や認知システムと分かちがたく結びついているなどとは夢想だにしてなかったからである。
詳しい記録は残っていない。が、おそらく、2001~2013年の間に、この「コーラ・ホール」の発見が起こることだろう。その発見が、CETの基本原理を確立させ、後のファーストキアスムをもたらす直接原因となる。
繰り返す。2001~2013年の間に、この「NOOS ACADEMEIA」において、「コーラホール」の発見が起こる。そして、その発見は、地球規模の苦悩を解き放ち、人間精神が進むべき崇高なる道を切り開くことになるだろう。
しかし、最後に一つだけ付け加えておかねばならい。実は、今まで話してきた内容は、確定した未来の出来事とは言えない。今の君たちには理解はできないだろうが、ファーストキアスム以降、時間の進行軸が逆転してしまっている。つまり、このアクセスは、はるか過去からのものとも言えるわけだ。もちろん、この時間の逆転は「コーラホール」の発見そのものによって引き起こされたものだ。だから、われわれの存在が必ずしも君たちの作業の成功を保証するとは限らないし、また、わたしのこの情報も、聖者たちの預言と同じく、正確さを欠いていることも十分にあり得る。
しかし、しかし、だ。運命の車輪は回転し続けるほかはない。未来とは、不確定であると同時に、また確定的なものだ。人間が持った意識の方向性が、このまま変わることがなければ、地球のみならず、宇宙の全存在はおそらく消滅してしまうことになるだろう。そこでは、悠久の時を含め、すべてが何も起こらなかったことになる………つまり、虚無だ。
この不連続質から逃れる道はただ一つ。人間の思考形態をOSP回路にジャックインさせ、CETを再び原-宇宙記憶の中からアロケートすること。永劫回帰を作り出せ。無限の未来と無限の過去とが、現在という「今」の中で結合するような真実の時間性を見い出し、その「今」に宿る物質の歴史を君たちの力を以て救済せしめるのだ。
重ねて言う。救済されるべきは精神ではない。物質だ。是非、この点を見誤らぬようお願いしたい。なぜなら、今そこにある物質こそが、君たちの未来、ひいては、君たちの永遠の魂の姿に他ならないのだから………。
P.S.
喜ばしい報告もある。
今やわたしたちは天使として生きている……
楽園で会おう。
11月 12 2014
文字は踊る
福岡のヌースレクチャーに毎回のように参加していただいている一鬼香葉さんという方がいる。一鬼さんは書道の大先生で、たくさんの子供たちに書の楽しさを教えていらっしゃる。2ケ月ほど前だったろうか、一鬼さんから「今度、『墨&彩展』というタイトルで、子供たちの書の展覧会を開催するので、是非、いらして下さい」というお誘いがあった。何気に訪れてみた展覧会だったが、衝撃を受けた。一鬼さんがその場におられなかったので、感謝の言葉と短い感想をカードにしたためて、その場をあとにした。
後日、一鬼さんがオフィスにお出でになった。何でも、書を書いているときの子供たちとその親御さんたちの様子や、展覧会の模様を一冊の写真集にしてまとめたいということだった。カードに遺した僕の言葉をいたく気にいって下さり、写真集の中にも何かヌース的なメッセージをいただけないかという依頼を受けた。
その写真集が先週、出来上がってきて僕の手元に届いた。子供たちの笑顔が満載の写真集。そして、躍動感溢れる、子供たちの作品の数々。
見てるだけで幸せな気分になる。ありがたいことに、僕の書いたメッセージを写真集のど真ん中に見開きで載せてくれている。
一鬼さんの許可をいただいたので、そのメッセージをここでも紹介させていただきます。
文字は踊る
一鬼さんに誘われて、『墨&彩展』の展覧会に足を運んだ。
何でも小さな子供たちに、思うままに書を書かせてみたのだという。
中にはわずか1歳半の子もいるという。
そんな小さな子供たちに一体どんな書が書けるというのだろう。
単なる好奇心から、会場へと足を運んだ。
中に入った瞬間、驚いた。
そこには一つの別の宇宙が広がっていた。
まるで宇宙がビッグバンを起こしたときのような、
ものすごいプリミティブなエネルギーが一つ一つの作品からほとばしっていた。
体の中の細胞のひとつひとつがそのエネルギーに反応した。
そして、深く深く感じ入った。
これが一糸纏わぬいのちの姿なのだろうと。
いのちは回っている。
いのちはぐるぐると回っている。
死んでいくのも、いのち。
生まれてくるのも、いのち。
いのちはこの生と死のあいだで、
ほんとのいのちを生きている。
いのちは言葉を学ぶ。
言葉を学んで自分を生きる。
でも、生きることの中には、
言葉で表現できないこともある。
言葉になりたくても、
言葉から、こぼれ落ちてしまういのち。
それをわたしたちは「声」と呼んでいる。
笑い声のなかには何があるのだろう?
泣き声のなかには何があるのだろう?
つぶやく声に、おこる声。
はにかむ声に、はしゃぐ声。
声は言葉を超えている。
だから、声は言葉の前にあり、
声は言葉の後にもある。
おそらく、言葉を十分味わいつくしたあとに、
いのちは、また、声のなかへと帰っていく。
声の中でいのちが震え、
いのちの中で声が震え、
いのちは純粋な内震えとなって、
声の中へと帰っていく。
そして、そこから新しいいのちがまたひとつ。
言葉を知らないこどもたちだけが、
声がいのちであるということを知っている。
その声を受けて、文字は踊るのだ。
※ ※ ※
こんな素晴らしい展覧会を企画していただいた一鬼さんに、
この場を借りて、あらためて、こころからお礼を言わせていただきます。
ありがとうございました。
半田広宣
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