10月 30 2023
4次元を認識するときの心得
4次元の世界を3次元の延長感覚で表現しようとするとどうしても複雑になる(下図:ホップファイブレーションが作る3次元球面の形)。
ヌーソロジー的には4次元は延長感覚、つまり対象としては捉えることができない世界なので、延長空間で理解しようとすると返って混乱し、理解不可能なものになると考える。つまり科学者たちの類推のような形で4次元を思考してはいけない、ということだ。4次元は4次元感覚の中で直観されるべきものであって、延長世界に還元して表現できるものじゃない。
4次元に出るためには、まずは3次元の無限遠点を発見することが必要だ。そこは自分自身の内的視点と3次元空間との接点が生まれている位置のことでもある。要は、私たちの内側からの視線(奥行き)自体が4次元なのである。その覚知によって初めて空間は対象ではなくなり、空間と主体は不可分のものとなる。
ヌーソロジーの文脈では、言うまでもなく、この主体と不可分となった空間が持続空間、つまり私たちが精神として息づいている空間である。自分を3次元から出す、つまり、3次元として見えている世界を視野空間の中に見るなら、それを見ている主体自身は3次元から出ることができているということだ。このとき3次元空間は3次元球面と化す。この3次元球面が見えたとき、私は絶対不動の私となる。不動明王のようなものである。
もし「他者に見られる」という経験をしなかったなら、私たちは、そのまま4次元の住人でいられたことだろう。「見られる」という意識の発現によって、4次元の持続空間は4次元の時空へと変質し、人間は3次元の中に生きる物質的存在になったのである。
その意味で言えば、この「見られる」という意識はイブが食したリンゴのようなものだと言っていい。見られるところに時空が生じ、そこでは4次元以上の世界で活動しているすべての精神は物質の多様性として現れてくる。知識の木にたわわに実った知識の果実がここぞとばかりに現れるのである。
私たちは、この「見られる」という経験を与えている他者の中に自分自身を発見しないといけない。というのも、「見られる」という経験も、自分が他者に成り代わって「見ている」ことに過ぎないからだ。「他者とは鏡」ということの本質もここにある。主体は他者という鏡を通して、鏡像化した自分を見ている。
そのような認識を自己と他者双方が持ったときの世界を想像してみるといい。そのとき初めて、私たちは「わたしはあなた」「あなたはわたし」というあのマヤ人たちのイン・ラケチという言葉の真意を理解することだろう。そのような世界では、世界に「わたし」という存在はいなくなり、「物」そのもの世界となる。結び(産霊)が生じるのである。
11月 9 2023
真の主体を取り戻すとはどういうことか
Twitterでも何度も紹介しているヌーソロジーの基本概念でもある人間の内面と外面という空間の区別。これは、私たちの外在・内在感覚が生まれている場所を空間知覚の在り方を通してクリアにするための重要な図式です(下図参照)。
二つの場所の違いに気づいた人は、自分がどちらの空間イメージで日頃生活しているかを確認してみるといい思います。
おそらくほとんどの人たちが「人間の内面」をベースにして物事を捉えているのではないかと思います。実際、今の社会の常識自体が圧倒的に人間の内面の方が先手をとって組織化されています。科学的世界観などはその典型です。
しかし、少し考えればすぐに分かることですが、自分が実際に生きている空間は人間の外面側です。思い出すのは難しいかもしれませんが、自分が生まれて最初に先手としてあった世界も人間の外面側です。
ヌーソロジーが、本当の主体は人間の外面に位置していると言ってるのも、そうした経験的事実を踏まえてのことです。人間の内面は、主体が他者視点から世界を見たときに初めて構成されてくるもので、本来は後手なのです。
つまり、人間の意識においては人間の内面と外面の先手後手関係が転倒してしまっている。人間の外面がなければ、人間の内面など存在のしようがありません。まずは、このボタンの掛け違いを是正することです。
何度も言いますが、この人間の内面と外面はまったく違った空間なので、その変更だけでも、世界に対する感受性が大きく変わってきます。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0