7月 23 2005
カフェネプ危うし!!
2000年4月にヌース理論のサイトをオープンして以来、長年,運営している掲示板「カフェ・ネプチューン」の運営方針を変えることにした。ここ数ヶ月、あまりに礼節を欠いた書き込みが多かったのでわたし自身、僻々していたが、このままでは、ヌース理論に好意的な視座を持っている人たちの意見も吸収できなくなってしまう。そう判断し、致し方なく、運営上好ましくないと思われる発言は即座に削除していく方針に切り替えた。
ROMの中には今までの自由奔放な掲示板運営を望む人たちも多いかもしれない。わたしにしても基本的には「予定調和」がモットーである。しかし、ここ数ヶ月のカフェ・ネプチューンの状況は酷い。悪貨は良貨を駆逐する、という法則の通り、建設的な意見交換がほとんど見られなくなってしまった。冷やかしの類いが多すぎるからだ。きっちりとした批判精神を持った書き込みならば大歓迎なのだが、批判と呼ぶにはほど遠いお粗末な悪意の垂れ流し。こうした書き込みが増えてくると、掲示板には、いい加減なHNが一気に増えてきて、その内容も機械的な雑言の応酬に終始するようになる。要は、本来、ネットコミュニケーションの長所であるべき無名性を逆手に取って、魂の腐りきったチキン野郎がうじゃうじゃ這い出てくるのだ。まあ、ヌースのような半ば思想的な活動をしていれば、こういう輩が出てくるのは百も承知だが、さすがのわたしも最近はちょいと疲れてきた。掲示板は廃止にしたくないので、とうとう、致し方なく管理者権限発動の運びとなってしまったわけである。
魂の腐りきったチキン野郎——とりあえず、こうした連中のことを実存的弱者と呼んでみよう。こうした隠れた暗がりに潜む矮小な権力者どもは実のところ一番たちが悪い。それはあからさまな帝国的権力よりも、ときに人の心に甚大な災いをもたらすこともある。この輩は、そこかしこの暗がりや物陰から、人の心の奥襞に山姥のような執拗さを持って介入してくる。こうしたミクロならぬナノの権力は、当人たちの思惑とは裏腹に神々に訴えかける力など露ほどもない。要は自我がないからだ。連中は夜中に寝床ではっと目を覚まし「裁きたい、裁かずにおられるものか」と無意識に叫び出す。これはこの手の仄暗き権力者たちの特徴である。もちろん、こうした傾向は人間ならば誰しもが持っているものだが、自己診断チェックとしては次の三つの項目を挙げることができるだろう。
1、権力を破壊しようという心はないか
2、自分のみが正義を知る者だと思う心はないか
3、好んで陰に隠れようとする心はないか
これらはいわば、ルサンチマンに現れる聖なる三位一体と言っていいものだ。復讐の画策と自己陶酔の病はすべてこうした心の働きから起こる。わたしの場合は「1」のみ当てはまるが、他の要素はほとんどない。人間の体制はこうしたチキンの心によって支えられている。わたしも自戒を怠らないようにしなければ。。
8月 1 2005
第10惑星ペルセポネー
カフェ・ネプでも話題になっている話題だが、カリフォルニア工科大学のブラウン(Mike Brown)博士らの研究チームが、太陽系で10番目の惑星の可能性がある候補天体(仮名称「2003UB313」)を発見したことを公表した。何でも大きさが冥王星の1.5倍ほどあるらしく、今後、国際天文学連合で討議され、正式な第10惑星とするかどうかかが決定されるらしい。
http://www.asahi.com/international/update/0730/009.html
ヌースファンの方はよくご存知かと思うが、ヌース理論では第10惑星の発見を人間の意識進化の吉兆として伝えてきた経緯がある。拙著「シリウス革命」でも、2013年までに第10惑星が発見されるだろうという予想も記した。今回、発見されたこの天体が第10惑星であれば、それなりにおめでたいことではあるが、個人的な直観としては、まだまだこころもとない感じがしないでもない。別にこれといった根拠があるわけでもないのだが、第10惑星にしてはちょっと地味な感じを受けるのだ。第10惑星の発見はもっともっと華々しい花火のようなイメージでなければならない。わたしが勝手にそう妄想しているだけのことなのだが………。
第10惑星の出現の意味。それは人間の歴史がプルートー的危機から脱し、真の未来へのステップへと歩み出すことの証だ。プルートー的危機とは、1930年(冥王星の発見年)以降、量子論や核開発が世界にもたらしてきた人類の危機的状況を意味する。量子論からは認識の危機、核開発からは生命の危機がもたらされた。この状況は、むろん、現在でも続いてはいるが、その終わりを告げる福音となるものが第10惑星なのである。
今回の天体の是非はともかく、いずれにしろ、近い将来、第10惑星は必ずや登場してくることになるだろう。その正式名称は勝手ながら「ペルセポネー」がいい。ペルセポネーとはギリシア神話に登場する冥界の王プルートーの妻の名だ。ヌース的には定質(Ω11)が冥王星に対応しているので、その反映の性質(Ω12)が第10惑星の力ということになる。その姿を顕在化させるのはヌース的文脈ではΩ13ということになる。
神話では、ペルセポネーは元来「乙女(コレー/Kore )」と呼ばれる美しい娘だった。その美しさに目をつけたブルートーが強引に冥府に幽閉し、自分の妻としたのだ。ここで、ちょっと映画「マトリックス」を思い出してみよう。アーキテクト(神)が作った原プログラムであるメロビンジアンの妻が確かペルセポネー(英語読みでは「パーセフォネー」)という名前になっていた。モニカ・ベルッチが演じていたあの妖艶な美女である。この命名はかなり的を射ている。メロビンジアンとはマトリックスを動かす原プログラムのことだった。このプログラムは人間の性欲を支配し、物質的欲望を加速度的に助長させていく働きを持つ。まさにプルートーの役割と瓜二つだ。美しい妻ペルセポネーはそうした夫を嫌ってはいるものの、表立って反抗することはできない。しかし、彼女はネオが現れることによって、彼の魅力に惹かれ、メロビンジアンをいとも簡単に裏切る。
神話でも、冥府の妃神ペルセポネーは地下の顔と地上の顔を持つ。地下の顔は恐ろしい化物や怪物を生み出す夜の女王としての顔だが、一方、地上の顔は豊かな収穫の乙女のそれである。地下の顔とは月、地上の顔とは第10惑星。地上の顔としての乙女ペルセポネーが行う収穫とは、実は魂の収穫のことだ。つまり、第10惑星とは人間の魂の収穫のために現れる惑星なのである。最終構成から方向覚醒へ。プルートー的危機の後にはそうしたペルセポネーの時代がやってくることだろう。
ペルセポネーの地上の顔である第10惑星、そしてその地下の顔である月。ドゴン族の神話では、「10番目の月」が現れるときに、シリウス星系からノンモと呼ばれる水陸両生類が地球に飛来してくるという。何でも、ドゴン族自身が過去、この地球に飛来してきたノンモの子孫であり、長い年月を経て、再び、彼らを迎えにやってくるというのだ。ノンモ、シリウス、両生類。。すべてのナゾはペルセポネーの出現とともにおのずと解かれていくことになるはずだ。言うまでもないことだが、人間は今なお、魚である。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 09_映画・テレビ • 0 • Tags: シリウス革命