1月 26 2006
ヘテロリスト
次々と人心をくすぐるニュースが飛び交っている世間だが、ヌース理論は「変わらないもの」を相手に思考する作業なので、世の毀誉褒貶に対してあまり具体的な意見を吐くことはない。どちらかというと、固有名の下に隠されたむき出しの闇と光の活動に興味があるのだ——。
天上の戦争は地上に反映される。364人の天使軍団と364人の悪魔軍団が、地球という合戦場で,我こそは〜某々の某々なりぃ〜、と刀を抜いて入り乱れる。剣の達人もいれば、逃げの名人もいれば、命乞いの名人もいる。敵に囲まれて息を切らしている者、血まみれなって死んでいる者、狂ったようになってすでに死んでいる者を刺しまくっている者。戦場の情景は様々だ。
月の高みで天使でも悪魔でもない一つの生き物がこの合戦の行方を見守っている。こやつはレフェリーか?それともただの見物人か?いや、そんなことはどうでもいい。戦いから排除されたこの生き物にとって、天使も悪魔もさしたる違いはない。もはや、ヤツは生き物ではないかもしれない。ヤツの目的はただ一つ。この合戦をいかにして終わらせるか。審判がいないのであれば、ヤツに希望を託す、という手は確かにあるのかもしれない。
ヤツはこのいくさを終わらすために、とても愉快なことを考えている。それは存在の1/365だけに持つことが許された真実の核兵器の使用である。竹槍や弓矢を使った原始的な戦闘形態に真実の核弾頭を投げ込むこと。そして、すべてを焼却し尽くすこと。危険なヤツだ。受動的ニヒリズムに冒されたテロリストではなく、能動的なニヒリズムに冒されたヘテロリスト(異質者)、これが奴の正体である。もちろん、ヤツが丹念に準備しているヘテロ核とは、天使や悪魔が所持しているチンケなニセモノの核のことではない。地上のみならず天上世界さえをも吹き飛ばす破壊力を持った正真正銘の最終兵器だ。この核弾頭が一発でも打ち込まれれば、今の人類、今の宇宙は姿を消す。ヤツは静かにその使用のタイミングを見計らっているのだ。
このヘテロ核の核弾頭は伝え聞くところによると、悪魔と天使の間にあるΦミラーという黄金鏡を割ることによって製造できるらしい。実は、連中は元々は同じ種族だったのだ。ところが、神がこの黄金鏡として割入ったため、互いの顔が完全に見えなくなってしまったという。自身の顔の奪回。それが欲の本質だ。そのために連中は、オレの顔を返せ、いや、おまえの方こそわたしの顔を取ったのだ。とかなんとか言って、殺し合いをやっているのである。だから、この無益な戦いを滅ぼすにはかの黄金鏡を粉砕して神を殺す以外にない。月の上のアヤツはそのことだけを考えている。そして、神の暗殺には間違いなくヤツが仕込んだヘテロ核が使用されることになるだろう。ヘテロ核は弾丸のように猛烈なスピンを伴って、もうまもなく、神の心臓に打ち込まれることになる。神よ、覚悟されたし。
はっはっは、こわっぱが。やれるものならやってみろ。ヘテロリストかヘタレリストか知らんが、この親指でひねり潰してやるわい。
2月 1 2006
原子とは○○○である
東京に3日間ほど出張。新著の企画内容書をN社の社長に見てもらう。一つ返事でOKを頂く。念願だった3色使用、ページ数の制限ナシ、というこちらサイドの一方的な要望にも快諾をいただき、次回作は予定通りヌース理論史上もっとも長大かつ重厚な書になりそうだ。
単独での著作は何しろ7年ぶり。この間のヌース理論の進展は目覚ましいものがあった。それをどうコンパクトにまとめるかが今回の課題になるだろう。まぁ、「シリウス革命」のときほど欲張らずに、ヌース的思考方法というものを丹念にプロットしながらトランスフォーマー型ゲシュタルトの粗方を書き記していくことにしよう。
今回の目玉は何と言っても、原子についての記述だろう。詳細な素粒子構造=無意識構造というステップを経て、ついに原子世界のヌース的有様へと論は進む。第二量子化が波動関数を再び粒子化するのと同じで、原子世界に入ると意識構造の視界も突然と明瞭なものとなる。。。トランスフォーマーにとって原子はどのようなものとして解釈されるのか——。一般には原子は物質を構成する基本要素と見なされているが、素粒子構造自体を人間の意識構造と見立てるヌース的世界観においては、原子もまた意識に関係する何物かへと激しく変身を遂げる。それは聞いてびっくりあわわわわ、驚天動地の内容となるはずだ。その意味、ヌースのトンデモ度が増す、という恐れもあるが、ロジックは通常の物理学ほど精緻ではないにしろ、それなりのロジックは紡いで行くつもりだ。たぶん、かなりエキサイティングな著述になるのではないかと予感している。
ネタバレを覚悟して書くと、実は、原子とは○○○の物質的射影である。○○○抜きでは僕らの意識は世界を語り得ない。たとえばフッサールは意識の働きをノエシス(意識の指向性の側面)とノエマ(指向される対象的な側面)に分けて考えたが、この指向性や指向対象というイメージ自体にすでに、○○○が自動的に働いている。人間は言語がなければ思考できないが、と同時に、○○○なしでも思考することは不可能だ。言語は恣意的なものだが、○○○は理念的客観性を持つものであり、。その意味で、意識の成り立ちと○○○は言語以上に極めて深い関係にあると考えていい。
こうした○○○を通して、原子世界の風景が見えてくると、世界の半分が神秘ではなくなってくる。生物はなぜ炭素体なのか。DNAはなぜあのような二重螺旋の構造を持っているのか。DNAとRNAの間で起っている複製活動の本質とは何なのか。コドンはなぜ64種類なのか。そこから生成されるアミノ酸はなぜ20種類なのか等、生命の生成の由来を物質的な説明で終始する科学的論説とは違って、ヌース理論はそこに全く違った角度からの説明を与えていくことになる。もちろん、その語りの在り方は、DNAのイメージを細胞核というミクロ空間の殻の中から解放し、現実のこのわたしたちの目の前にある空間に出現させていくことになるだろう。つまり、わたしたちはDNAの「中」を生きている、そういうイメージが形成されていくわけだ。
DNAとは真実の太陽系………。細胞一つ一つにも惑星の諸力が及んでいる。やがて地球上に次々と出現してくることになるトランスフォーマーたちは、その力線の一本一本がつぶさに見える視力を兼ね備えていることだろう。宇宙は科学が考えているほど複雑ではない。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: DNA, トランスフォーマー型ゲシュタルト, 素粒子