5月 13 2006
ヌース的夢想
ヌース会議室にSOHOさんからの質問があったので、本に紹介していく観察子のイメージについて、少しだけリークしてみた。ラフな説明だったが、結構伝わったようで嬉しい。
ヌース理論の目的は単に無意識構造を幾何学的に明らかにすることではない。その構造をダイレクトに感覚化し、高次元認識を持つ知性体をこの地上に誕生させることにある。いわゆるトランスフォーマー養成装置をこの物神に覆い尽くされた世界にバラまくこと。それが本当の目的なのだ。それを拾うも拾わぬも各自の勝手。あとは装置にまかせておけばいい。そんな装置が作れたら本望だ。
人間が3次元認識以外の認識方法を持つことは果たして可能だろうか。もし、それが実現すれば、世界は大きく様変わりすることになるはずだ。もちろん、人間のイメージも大きく変わる。宇宙の仕組みを物質で説明する方法論はアンシャンレジームとして昔懐かしいものになるだろうし、宗教もその存在価値をほとんど無くしてしまうだろう。世界の成り立ちについても、ビッグバン理論はもちろんのこと、聖書の創世記的なイメージも駆逐され、「いま、ここ」に、創世の現場に立ち会う人間存在として、諸価値の一斉転換が起きてくるはずだ。
無意識構造に操作されていたオイディプス的存在から、新たな無意識構造を構築していく意識へ。これがヌースが目指す世界の「反転」の真の意味である。ヌースではこのような意識の変態を「顕在化」と呼んでいる。今まで黒い喪服に包まれていたイシスの身体が、目映いばかりの裸体を露にしてくるのだ。イシスの目覚めはオシリスの復活を伴う。顕在化させる精神と顕在化の精神。実のところこの二つの力がオシリスとイシスの本性である。
この二つのものが交合を行うと、 仄青い月の光の下で、月下植物のようにつつましやか光合成を行っていた人間の外面の意識が、Φの力を得て、メルクリウスとヴィーナスを合体させ、ヘルマフロディートスを生成し始める。目指すところはホルス的身体とも言える身体の外部化である。それはモノ自体と呼ばれる未知の空間への意識の旅立ちである。月の諸力に支えられていた肉体は、その役割に終止符をうち、自我の本質となる太陽空間へと出ていくことになるだろう。太陽空間とは物質世界をその背後から支えるモノ自体の力がうごめく、次元精神そのものの力である。
太陽と太陽が向かい合うとき、僕らの意識は肉体から解放され、「ヒト」と呼ばれる存在になるはずだ。それは宇宙の+力と−力が相殺される0の場とも言っていい。そのとき、地上には世界を見ている者が誰もいなくなる。というのも、それは、地球そのものが僕ら人間の意識総体と一致する事件だからだ。——絶対的唯物の世界。生=マテリアル=知覚対象。。。これらは、ドゥルーズが言うように、すべて同じものである。そのあと、僕らは木星のゼウスの正体を知ることになるだろう。それに呼応するように、土星の霊トローネが新しく生まれてくる人間のために新たな天地を用意してくることになる。
ヌース的夢想とはこういうものだ。何という壮絶なトンデモ。しかし、すこぶる気持ちがいい。ビバ!!永遠の生命!!
5月 19 2006
地球、月、太陽
ヌース理論の文脈に従えば、月は眠れる太陽である。つまり、潜在化における精神という言い方ができる。月は人間の無意識の活動をすべて司り、個体の眠れる14の観察子を他者側の同じく14の観察子領域と交差させ、自他間の意識の間の調整をはかっている。
この周期が顕著に現れているのが月の公転・自転周期である。
地球上で暮らしているわたしたちからは、月が決して裏を見せないことは皆さんもよくご存知のことだろう。つまり、月の自転と公転比が寸分の違いもなく1:1であるために、月は絶えず地球に対し同じ面を向けているのだ。天体物理の世界では、こうした現象を軌道共鳴と呼ぶが、軌道共鳴の物理学的なメカニズムは未だ明らかにはされていない。
ヌースではこうした月の運動に全く違った答えを用意することになる。すなわち、月は地球を見るために作られた天体なのである、と。といって、これは地球を監視するためのUFOの基地が月面にあるとかいった類いの話ではないので、くれぐれも勘違いのないように。つまり、月とはすべての人間の肉体を統括する力の物質的顕現と考えられるということだ。となれば、当然、客体側を統括する力が地球ということになる。つまり、地球と月とは、潜在化における客体と主体という対化関係を表すイデアと深い関係を持っているのだ。
ちょっとした実験をやってみよう。「光の箱舟」にも書いた内容だが、今、モノを見つめながら、その周りをグルグルと廻ってみるといい。そのとき、肉体自身はモノの周りを一回廻りながら、同時に一回自転しなければならないことがわかる。このときのモノに対する肉体の運動が、地球に対する月の動きのメタファーとなっていることはすぐにわかる。
このメタファーで太陽は何に相当するかといえば、肉体の自転・公転に伴って刻々と姿を変えていく背景空間となるだろう。モノは背景空間があってこそ、その存在を指し示すことができるが、モノと背景空間の間に割って入って両者の間を調停しているのが、人間が肉体と見ているものの本質的な役割なのだ。ヌース的にいえば、魂が肉体から解放されるということは、月が太陽に変態を起こすこと、すなわち背景空間(視野空間)に自分自身の位置を見いだすことに他ならない。これが「位置の等化」の最もシンプルなビジョンにあたる。
「光の箱舟」では、こうした観測者の自転・公転の同期が、スピノールが持つスピン1/2と関係があるのではないかと示唆した。今では、当時よりもはっきりとその関係がわかるようになってきた。まさに、スピノールの正体とは視野空間上における対象中心とその背後にある無限遠点を結ぶ線にあるようだ。この線は3次元における0点と無限遠点を結ぶ線であるから当然、4次元の方向を持つ線分である。つまり、知覚正面上の奥行き方向には3次元方向のみならず、4次元方向も重畳しており、視野空間上には4次元空間も同居しているのである。モノ一個に対する個体からの認識はSO(3)を構成しているが、モノの背景が回転することによって生まれている天球面の認識はSU(2)によって生じている。そして、このSU(2)球面は自他の観察関係によってさらに表裏が捻られ、CP^3というツイスター空間を構成している。それが、目下のところヌース的思考によって目撃されている世界の情景だ。空間は襞化してその花弁を多層に折り重ねていっているのだ。
OCOT情報に次のような謎めいた言葉がある。
「地球が1回廻る間に月は2回転します。」
通常の天体法則で考えれば、地球が1自転する間に月は自転を取ろうが公転を取ろうが約1/28回転しかしていない。つまり、このOCOT情報は単なる物理的な天体法則を語っているのではなく、より本質的な回転、つまり、意識の等化運動について語っているのである。どういうことか——。
例によって、モノを挟んで対峙する自己と他者をイメージしてみよう。そして、今、両者が絶えずモノが見えるように、同じ速度で、モノの周囲を廻り始めたとする。とすると、二人から見た0点と無限遠点(視野空間)の関係は、SU(2)における1と-1という元に対応させることができる。これらの1と-1を同一視すると、残るのは対象の自転運動だけになる。つまり、これはSO(3)の範疇(部分群)だ。このへんの事情は数学的にはSU(2)/[1,-1]〜SO(3)(〜は位相同型)と表現される。
これによってOCOTの言葉のナゾがナゾではなくなってくることが分かる。つまり、モノを地球、肉体を月を考えたとき、OCOTがここで言っている「月が2回転する」というのは、自他の肉体側の回転のことを指していると考えられるわけだ。それは、モノが客観として認識されるためには、SU(2)の表裏が等化されなければならないことを意味している。NCの真ん中に何気に位置していた球空間とは、まさに、ツイスター空間だったのである。
このように、地球-月間の運動と、人間の空間認識の関係をホモロジカル(モノと自他はψ7で統合され、地球-月はψ13で統合されている。両者にはモノ一個かモノの全体かの違いがある)に思考する方法論で生まれてくると、新月や満月といった天体現象にも意識的な意味を通した霊的解釈が可能になってくる。ここでは、それは占星学が持った知識にきわめて酷似している、ということだけ言っておこう。新しい神秘学の誕生がすぐそこまで来ている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 4 • Tags: 位置の等化, 光の箱舟, 無限遠, 神秘学