9月 18 2006
顕在化について
ヌース理論がいう「顕在化」とは、神話的、宗教的なアレゴリーとしては「七つの玉をつかんでいく龍になること」や「七つの封印を解いていく御使いになること」にたぶん対応している。
人間の無意識を流動させている構造体はψ1〜ψ14、ψ*1〜ψ*14という総計28個の次元観察子から成り立っている。この「28」の構成には7つのキアスム(交差配列)が内包されており、つまりは、この発見が、7つの玉や、七つの封印の解除に対応するのではないかと思ってるわけだ。4つ組の7つの階層。合計28。もちろん、潜在化においてのこれらの連結はリニアルなものじゃない。ちょうど5次以上の方程式が代数的には解けないのと同じように、第5番目のキアスムのところで水の受難に遭う仕組みがある。しかし、顕在化の方においてはある理由によって、7つの階層はすべて連続的な多様体として露になっていく。(ある理由とは言ってはみたものの、まだ、そこがはっきりとは見えないのだが。。)
この連結を果たして行く運動が回転だ。一つの次元階層から次の階層へジャンプするためには、回転が必要とされ、ヌースではそれが精神の力として定義される。精神、すなわち回転の力は四つ組の力関係が相殺されたとき、ゼロ的な場(重心といいいます)からの第五の力の発振としてなされる。このとき生み出されるのが黄金比の本質ではないかと考えている。黄金比とは知っての通り内分比と外分比を相等しくさせる比率のことだが、この比率が意味する本当のところは、おそらく内部認識と外部認識の関係を反転させ、それら相互の対称性を作り出す精神自身の身振りにあるのではないかと思う。内部=外部、外部=内部、もしくは、受動=能動、能動=受動という相矛盾するものの奇跡的な一致。この一致によって二元論的な知性は一度解体されてしまうのだろう。例によって「陰の中の陽、陽の中の陰」といったような「太極」的な知性が、ここで介入してくるのだ。
この視点を止核精神たる人間精神(ヌースでは正四面体とされる)にもたらしてくるのは、おそらく正20面体のイデアである。と同時に、もたらされてくるその黄金比的な次元認識が正12面体に当たるだろう。この「20」と「12」が織りなす性愛関係は宇宙の存在自体をその根底から支えている。これら両者はキリスト教的に言えば、救済力(ミカエル)と救済されたゾーエー(イエス=キリスト)の関係に当たるのかもしれない。もしくは、ペンタグラムをイエスの象徴と見れば、正12面体とは受胎した聖母マリアの姿といったところか。デュオニソス的な混沌の中で行き場を見失っていたゾーエーの力は、このとき一気に物質の内部から解き放たれ、火の力を実存の空間に向けて吹き上げる。そこに見えるのは12枚の花弁。それら一枚一枚には黄金のグノーモンが息づいている。正20面体を構成する12個の頂点は12個のペンタグラムを見下ろし、ゾーエーの無限力を絶えることのない渦として象徴化している。世界に何一つ無用なものはない。すべてのものが相等しい存在価値を持ち、すべてのものが相等しく存在に貢献している。もちろん、君も、僕も。12枚の花弁一つ一つに託された「位置の開花」という言葉にはそうした意味が込められている。
第一の渦、第二の渦、第三の渦、第四の渦、第五の渦、第六の渦、魔法使いが杖を振って林檎を取り出してみせるように、正20面体の力は六種の空間に次々に再生の螺旋力を注ぎ込んでいく。そして、第七の渦が現れたとき、精神はその眼差しを新たな未知の方向に向けて回転させる。そこに新しい天と地、そして人間が現れる。創造とはそのようにして為される。
顕在化とは、この第六の渦までを創造することをいう。これはψ11とψ*11が向かい合う場の創設でもある。そこでは二つの太陽(鏡)が姿を現し、互いの永遠性を讃え合う。眼下には物質的生命力の象徴である二匹の蛇がとぐろを巻いている。羽をつけた二匹の蛇と、羽をつけることを拒んだ二匹の蛇。選択はどちらでもいい。楽園の二人がサマエルに誘惑されようがされまいが、そんなことは些細なことだ。いずれにせよ、この蛇の二つの種族が次なる世界を回転させていくことに変わりはないのだから(蛇が嫌いな人はドラゴンでもいいよ)。
9月 22 2006
天の橋立
今日は以前ここで言ったことの訂正をしなくちゃならない。それは地球の表面は3次元球面だと言ったこと。これは間違いじゃないけど、どうも正確な表現ではないということが分かってきた。
前にもこのブログで書いたが、見てる人間の眼差しをも加味して考えると、モノ(=モノの認識のカタチ)は4次元球体として存在しているように思える。当然、見てないところにモノなど存在し得ないのだろうから、モノは4次元球体として生息していると言っても過言ではないだろう。だから、その表面は3次元球面になっている。そんな類推で、地球も3次元球面だと表現してしまったわけだ。しかし、たとえ4次元を考慮したとしても、単なる目の前に存在するモノと、僕らが不動の大地として感覚化している地球という球体が存在している空間は互いに次元を全く異にしているような感覚がある。そこで、今日は皆に次のような考え方を提案したい。
身体における前後がもし4次元方向ならば、身体における左右は5次元、上下は6次元というように、単純に類推することはできないだろうか。4次元が身体の前後に存在する(これはほぼ確実ではないかと感じている)という感覚が芽生えてくると、身体にとっての左右からの方向は、前後を前後として観察するノエシス(意識の指向性のようなもの)に感じてくる。つまり、主客未分化な前-後という空間を主客に分離し、理性的な働きを介入させてくる無意識の矢のようなものに感じてくるのだ。このとき「後」を率いているものが自我で、前を率いているものが「無意識の主体」だ。いつも言っている「人間の内面と外面」というやつである。一般に僕らの意識は前に見えるものを客体のように感じているが、それは実は客体ではなく、真の主体だということだ。客体は言語によって作り出される「後」の空間に存在している。
後(自我)の空間が支配する闇の世界の中では、光に満たされた「前」の空間は点の中に畳み込まれる。この畳み込まれた空間を物理学は時空の各点に貼付けられた「内部空間」と呼んでいる。内部空間とは素粒子の世界とされている。つまり、真の主体の場は微粒子世界として微分化された世界の中に閉じ込められていることだ。おっと、今日はミクロの話をするんじゃなかった。。前後=4次元、左右=5次元。この話をしたいのだった。これを通じて、マクロの天体世界へと展開する高次元空間の構造へと想像を巡らしたいのだった。。。
とりあえず、とりあえずだ。安直に左右=5次元と考えよう。すると、大地は5次元の膜で包まれているというイメージが湧いてくる。なぜか地球は丸い。身体が大地にしかと立ち(この「立つ」身体というのもとても重要な意味があるのだが)、そこで認識されている前後方向は、地球規模で見れば円環となって閉じているはずだ。左右もおそらく同じだ。それも円環状に閉じていることだろう。とすれば、地球表面は5次元平面(地上を平面と思っている認識)が球面化したものと考えられないこともない。こうした平面認識から球面認識への移行は、言うまでもなく近代のコペルニクス的転換で起こったことだ。おそらく、近代は上下方向からの6次元目のノエシスが介入してくることによってもたらされたのだ。ここでいう上下方向とはもちろん、地球から広がる宇宙空間の方向性ということになる。ということは、地球とは6次元空間に浮かぶ6次元球体なのだろうか?
と、無責任な問いを投げかけたところで、話の矛先を変えることにしよう。
シュタイナーは前後方向を感情軸と呼んだ。それはたぶん正解である。前後とは自己と他者とが想像的に交わる軸であり、そこにはおそらく想像界が存在している。想像界は母子関係によってその基盤が作られ、人間にとっては感情の在り方と大きく関係する無意識の場である。次に左右方向を思考軸と呼んだ。おそらくそれも正解だろう。左右とは、想像的同一化にまどろむ幼児の無意識活動を非情にも切断する去勢の手術のメスである。お父さん、なんで僕をお母さんから引き離すの?やだよ。僕はここが気持ちがいいのに。。。左右からの視線の介入によって、僕らは前後方向に膨らみの感覚を生み出し、モノや世界に三次元的な奥行きを作り出す。そして、それは同時に言葉の介入でもある。ラカンはこうした働きの場を象徴界と呼んだ。そんなにいつまでも甘えてるんじゃない。社会は厳しいぞ。これからはお父さんがボクを鍛え上げるからね。いひひひひ。では、上下とは何か——シュタイナーはそれを意思軸と呼んだ。たぶんこれも正解だろう。
6次元上空(宇宙空間)から見ると、人間の前後と左右は一つの十字架に見えていることだろう。地球上に植樹された無数の十字状の苗床。6次元からの視線はこの十字架の回転を促し、それぞれの苗をそれぞれの思いの中で成長させていく。つまり、想像界と象徴界の等化を計ろうと人間の創造力のスイッチを入れるのだ。言葉からイメージへ、イメージから言葉へ。男的なものと女的なものの性愛関係が蠢くところである。この反復が人間の個体性を確固なものにしていく。そして、おそらくこの軸はオルフェウスの竪琴の弦と呼んでいいものだ。その弦の一本一本はおそらく夜空を満たす星々の一つ一つと繋がっている。
何度もいう。人間は星である。銀河とは地球上で蠢く不可視的なものの可視的表れである。銀河の魚、人間。。。いずれそのことが明らかにされる日がやってくる。。。。。はずなんだが、最近、仕事が忙しくてその作業を怠り気味なんだよなぁ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: シュタイナー, ラカン, 内面と外面, 素粒子