2月 1 2008
核質と反核質
今回の本ではヌース用語の乱発は極力避けた。これも今までの反省から。概念が十分に醸造されないままヌース用語を多用してしまうと、大方の場合、呪文にしか聞こえず、理解の妨げになるからだ。
今回のアドバンス・エディションを読んでもらうと分るんだけど、ヌース理論が試みているのは空間に潜んでいる高次元の次元階層を見抜く知覚能力の獲得なんだよね。空間を単なる3次元(時間を含めれば4次元)と見なしているのが僕らの通常の感覚なので、その意味で言えば、ヌースは超感覚的知覚(ESP)の奪取を目論んでいると言えないこともない。こういう言い方をするとさも難しい話のように聞こえるかもしれないけど、何のことたあない、ヘイ、エブリバディ、物質的な空間からゲットアウトして、身体的な空間にゴーしようぜ、と言ってるだけなのだ。ん?なんで今日はルー・大柴なんだ?
現在、執筆中の『The NOOS(仮題)』では、この身体を巡る3次元性を中心に心理学、物理学、神話、歴史、芸術、哲学、細胞、大気圏、地球、月などスキゾフレニアックに話がいろいろな横断を見せながら進んで行く。今回のアドバンス・エディションはこの新著へスムースに入れるようにするためのとりあえずのウォーミングアップと思ってもらうといいかなぁ。この100ページほどの付け足しは一言で言えば「身体における前-後とは何か」について書いている。
「前-後」と言っても物質的身体のことじゃないよ。意識的身体としての前-後ね。ここには実は鏡の秘密が潜んでいる。いきなり神道チックな表現を使えば、ヤタノカガミという迷宮から出るための最初の謎解きが、この前後のなぞときにあるってことだね。人間を構成している霊的な構造にはこうした鏡のペアが全部で4組存在させられていて、それら4組の合わせ鏡の秘密を順番に解いていくことが、ヌースがいう「次元観察子の顕在化」のことなんだ。カガミの秘密をすべて見抜いてしまえば、その中に閉じ込められていた黒いカラスはフェニックスへと生まれ変われる。フェニックスが生息している領域は空間次元でいうと7次元世界だな。仕組みはカンタン。
1、2、3
4、5、6、
7、8、9………
というように、空間の次元はあたかもマージャンパイのごとく構成されていると思えばいい。要は1次元の上には4次元が、4次元の上には7次元が常に同居してますよ、ってことだ。つまり、次元はイッスーチーの三面待ちをやってるのだ。ろ〜ん。
1、2、3次元とは、言うなれば物理学が用いているx-y-z、つまりモノを存在させている空間の3次元性だね。そこに身体における「前」が第4の次元として入り込んでくる(ここからヌース独自の空間論に入ってくる)。モノへの現実的観察が行なわれている空間だ。現実的観察はつねに「前」でしか行なわれることはないので、じゃあ「後ろ」って何だ?ってことになってくる。今度の本の第二部ではそんなことを100ページも費やしてシコシコ書いている。
そんなかんだで、大雑把、フランク・ザッパに言ってしまえば、身体の周囲に感じている3次元は実は、4、5、6次元になっているってことなんだ。巷で次元上昇、次元上昇って騒がれているけど、何のこたーない。人間自身の実存的な場所を再構築するってことがヌース的には次元上昇の本質なわけだ。ヌースではモノが存在する空間の3次元性のことを核質(かくしつ)って呼ぶ。ほんでもって、人間の身体が存在している3次元性のことを反核質って呼ぶ。核質は3次元空間で反核質は6次元空間。そしてそれらの対称性を見出すことを「核質の等化」といい、そこに観察精神ってやつが介入してくる。
実際、街に出たら分るけど、そこにはたくさんモノや人が忙しく動き回っているでしょ。つまり、空間には3次元と6次元が重なっているわけだ。で、その様子をまた君は「前」で見ることができている。。これは、ある意味、核質と反核質が7次元によって等化されてしまっているからなんだけど、その反映として中和側に位置させられた人間の意識にはその次元的な重なりに全く気づかないんだな。
そこまでの次元上昇の仕組みがぜぇ〜んぶ見えるようになることをヌースでは「覚醒」といいます。
2013年から空間に潜在化しているこの次元の差異の序列がぜぇ〜んぶ見えてくるようになります。というか、ヌースがぜぇ〜んぶお見せします。7次元が見えてくると、ようやくそこに宇宙空間との接続ができてきて、太陽系空間=原子空間への扉が開いてきます。。。。ほんとか?ほんとです。乞うご期待。
2月 8 2008
人間は星だ!!
ヌース理論もそろそろ星について具体的に語り出すときが来ているようだ。ヌース理論は非常識な主張のオンパレードなので、科学的な常識に偏りがちな人たちからはまず「トンデモ」の烙印を押される。ミクロ世界を構成している量子については理系の人以外ほとんどの人が馴染み薄なので、ヌースが量子構造は無意識の構造だ!!と吠えても、ふ~ん、そういうこともあるかもね。という反応で済むのだが、マクロ世界となるとなかなかそうはいかない。「宇宙には太陽系しか存在しない!!」「恒星とは人間の個体の魂が放つ光だ」と言うと、精神世界系の人たちの中にさえも、とたんに「え~っ??」と訝しがる人や、「この人危ないわ、あわわ」と言って引いてしまう人がほとんど。。。まあ、現代人の常識とは全く合致しないことを言ってるのだから仕方ないか(^^)。
宇宙には太陽系しか存在しない――現代の科学的宇宙観から見れば、一笑に付されて無視される物言いだということは僕自身も十分に分かっている。じゃあなんでこんな暴言を吐いているかというと、一つは確信犯的にトリックスターになってやるわいな、という自己決定もあるが、本当のところは、空間はそんなに単純なもんじゃないよ、ということが言いたいからなのだ。実際、ミクロの極微空間においては僕らの通常の空間感覚では捉えられないような空間領域に入ることを今の科学は知っている。量子論がすでにそれを発見しているからだ。ただマクロの巨視的空間においてはその差異を主張する人は今のところほとんど誰もいない。
ヌースがマクロ宇宙に対して突拍子もないことを主張しているのは、観測者自身の観察空間をも含めて空間の構造を考察して行くと、今の科学的認識のように単に平板的に3次元の延長概念を宇宙に拡大していくことは大きな間違いだということが分かってくるからだ。ニーチェやフッサールではないが、僕らは「大地の意義」や「不動の大地」として人間存在を考え直さなくてはならない。人間が地球という天体上の表面上にへばりついて生息している意味、それも世界を認識するという意識の能力を持って球面状にへばりついているという意味、そしてその大地自身が宇宙空間に対して自転しているという意味、さらにはまたそれが太陽の周囲をも公転しているという意味etc………。
天体はむやみやたらに単なる物理的な惰性力で回転しているわけではない。ヌース的に言えば、回転とは空間に内蔵された精神構造の幾何学的顕現である。早い話、回転に対する想像力がなければ3次元空間だって僕らは認識することはできないのだ。
『人神』にも書いたが、現代の宗教や哲学は科学にちょっと媚びすぎちゃいないだろうか。宗教や哲学の主張を突き詰めて行けば、現代科学の物質中心の宇宙観や人間観を受け入れるのはちょっと無理な話だ。今の産業や経済に貢献する技術的な実学という意味であれば、科学は全く文句のつけようのないほど体系化され精緻化された素晴らしい学問だが、こと宇宙の誕生や進化、さらには人間の起源という存在に関する全包括的な問題に関しては、科学的知見だけで結論を下してしまうのはそれこそ「トンデモ」だ。しかし、悲しいかな哲学者や宗教家と科学者が真っ向から建設的な議論をし合う場は、今の学の世界にはほとんどなくなってしまった。それが学というものの本来の在り方であるはずなのに。。。
科学が少年性から脱することが必要だ。現在の科学は残念ながら女を孕ませる能力に欠けている。つまり、概念/conceptionがないのだ。平板的な3次元空間の中の同一性だけで事象を数量的に分析したところで、宇宙の本質は決して分からない。お姫様をお城の地下牢に閉じ込めておく悪者役を科学はそろそろ卒業してもいい頃ではないだろうか。白馬の王子となってお姫様の救出に向かう力を実は科学は潜在的に持っている。早く、成熟した美男子となって、あの月光美人と太陽の中でベッドインしようぜ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 6 • Tags: ニーチェ, 人類が神を見る日, 量子論