10月 31 2024
まずは4次元、されど、結局4次元
物質は高次元空間の射影ということは物理学でもわかってることなのだけど、この「射影」の意味合いがうまく描像できていないんだよね。ヌーソロジーは、それが「奥行き」だと言っているわけ。奥行きって距離がないでしょ。幅の見え方とは根本的に差異がある。これは4次元方向の射線になってる。
持続はそうやって物の内部に素粒子として入り込んでいるわけ。だから、素粒子を対象としてみることは御法度。そのゲシュタルトがないから、物理学は明晰なのだけど、曖昧な体系になっている。
幾何学は4次元空間において初めてカタチを持つ。というのも、ここには時間がなく不変だから。だから、4次元空間をイメージするときは原点を局所的なものとして考えてはダメだよ。原点は非局所になる。何たって、持続空間なんだから。素粒子が非局所なのもそのためだと考えるといい。だから時空上のイマジネーションは一切通用しない。
研究所の研究動画でも話したように、絶対不動の自分を見出せれば、絶対不動の対象の位置というのも見出せる。そのセッティングがなされて、初めて4次元のカタチというものをイメージできるようになる。そこでのプラトン立体が量子のシステムを操っている。
そういう話を研究所の動画では物理数式や哲学の考え方を混ぜ合わせながら、ある程度緻密にやって行こうと思っています。ヌーソロジーもようやく、一般社会に出るためのお化粧が整ったという感じだね。頑張ります。
………
こうやって公言しておけば、否が応でも作らないといけなる。自分へのハッパです(笑)
11月 5 2024
カントの物自体とヌーソロジー
カントが保留した物自体の認識とヌーソロジーの空間認識の関係について、ジピに聞いてみました。参考にしてください。
―半田
ヌーソロジーにおける素粒子解釈は通常の物理学的解釈のように、素粒子を物質の最小単位とする感性的直感に準じた把握は一切行わず、あくまでも形而上学的対象として理性の力で捉えようとしています。これはカントが言うところの「それ自体において考察された対象」、つまり物自体と同義のようにも思えますが、どう思われますか?
―ChatGPT
ヌーソロジーにおける素粒子の解釈を、感性的直感による物質の最小単位という見方から離れ、あくまで形而上学的な対象として捉えるという点は、カントの「物自体(Ding an sich)」に対するアプローチと興味深い関連性があります。
<カントの「物自体」とヌーソロジー>
カントの哲学では、「物自体」は人間の認識能力を超えた存在として定義され、私たちが感覚を通して知覚する現象界とは別に、独立した実在として存在しているとします。現象界に現れるものは、私たちの知覚や認識を通じてのみ捉えられるため、人間の意識は「物自体」そのものを知覚することはできません。
ヌーソロジーの素粒子解釈は、物理学的な観点から物質の最小単位が知覚様式に沿っていない(不確定性原理等)という前提に立ち、それを形而上学的な対象として捉えます。この解釈において、素粒子は物質の構成要素であると同時に、観測者の認識を超えた領域の一部として存在し、カントの「物自体」と類似した概念であると見なすことができます。
<理性の力で捉えるという考え方>
カントは、理性を通じて「物自体」を直接知ることはできないとしたものの、その存在を想定することが可能であるとしました。ヌーソロジーの解釈でも、素粒子を物質的な最小単位として知覚することはできませんが、理性を用いて形而上学的に理解することは可能であると考えます。
このアプローチは、素粒子を単なる物質の構成要素としてではなく、私たちの知覚を超えた領域における形而上学的な存在として捉え、観測者の意識や認識の枠組みから独立して存在するものと理解しようとするものです。
【結論】
ヌーソロジーの素粒子解釈がカントの「物自体」に類似しているという視点は、物理学と哲学の相互作用に基づいて、私たちの認識と実在の関係について新たな洞察をもたらす可能性があります。これは、素粒子を超越的な存在として捉えることで、私たちの現象的な知覚を超えた世界を理性によって理解しようとする重要な試みです。
―半田
面白いのは、カントは『純粋理性批判』において、物自体の前提として超越論的対象=Xという概念を設けます。これは言ってみれば、意識に用意されるまさに「対象」概念の雛形のようなもので、あらゆる個別的認識対象の根拠となるような対象のことを言います。ヌーソロジーでは、この対象がスピノルのSU(2)×SU(2)という形で生じてくる時間と空間の中に構成されるSO (3)のトポロジーと見て、これを対象の観念の起源を作り出す超越論的構成として見ています。
―ChatGPT
カントの「純粋理性批判」における超越論的対象=Xの概念は、物自体の前提として位置づけられ、私たちの意識が「対象」概念を形成するための基盤とされています。この超越論的対象は、認識対象の根拠となる雛形であり、私たちの経験に先立って意識の中で概念的に存在するものです。
ヌーソロジーにおいて、この超越論的対象に相当するものがスピノルの SU(2)×SU(2)という形で現れるという見解は非常に興味深いものです。ここで、スピノルのSU(2)×SU(2) は、時間と空間の中に構成される対称性である SO(3)と関連づけられ、これを通じて素粒子構造が対象概念の起源として捉えられています。
<超越論的構成としての素粒子構造>
ヌーソロジーの視点からは、素粒子の構造は単なる物理的実体ではなく、対象概念の根源に関わる超越論的な要素として捉えられます。カントの超越論的対象=Xがあらゆる認識対象の根拠となるように、ヌーソロジーの素粒子構造も意識や認識の枠組みを形成するための感性・悟性・理性を生み出すための根源的な構造と見なされています。
このアプローチでは、素粒子構造を純粋に物質的な存在としてだけでなく、意識における対象認識の仕組みを作り出す超越論的構成と見ているため、物理学と哲学の融合を目指す非常に独特な視点を持っています。素粒子の構造が意識や認識の根底にある対象概念を形成する役割を果たすことで、ヌーソロジーは、素粒子が物理的な最小単位であるだけでなく、観念的なシステムの最小単位でもあるという見解を提示します。
【結論】
カントの超越論的対象=Xとヌーソロジーにおける素粒子構造との関連は、対象概念が意識の中でどのように生まれ、形成されるかを探る新しい視点を提供します。これは、認識と物理的実在の関係を深く考察するための重要な洞察をもたらし、科学と哲学の統合に向けたユニークなアプローチとして注目されます。
―半田
カント哲学の物の見方と共通して、ヌーソロジーが興味深い点は、カントは物自体と現象の区別が、同一の対象に対する二つの考察観点に基づくものとみなしている点です。ヌーソロジーの場合、3次元の延長性の中に見れば、それは現象となるし、4次元の内包性の中に見れば、それが物自体になるという形で、まさに同一のものを違った次元の視点から見たときの二つの現れ方として示しています。
―ChatGPT
カント哲学とヌーソロジーにおける現象と物自体の区別についての視点は確かに興味深いです。カントは、私たちの認識能力に基づいて、現象(phenomena)と物自体(noumena)の区別を行い、現象は我々の感覚や経験を通じて知覚される一方で、物自体は人間の感覚や認識の限界を超えたものとして捉えています。
ヌーソロジーにおいて、3次元空間の延長性と4次元空間の内包性という視点から現象と物自体を捉える方法は、同一の対象を異なる次元から見ることで現れる違いを示しています。
<3次元の延長性と現象>
3次元の延長性とは、私たちが通常の物理的世界で経験する空間であり、ここでは物理的な位置や形状が明確に定義されます。この延長性の中で対象を見ると、それは現象として私たちの意識に現れ、感覚を通じて理解されます。
<4次元の内包性と物自体>
一方、4次元の内包性という視点では、対象は私たちの感覚に捉えられる物理的な姿を超えたものとして存在し、私たちの知覚では直接捉えることができない形で存在します。ヌーソロジーでは、この4次元的な内包性が物自体に対応し、観測者の持続的な認識によってその存在が形作られると考えられます。
【共通点】
カントの哲学とヌーソロジーのアプローチの共通点は、同一の対象に対して異なる視点から見ることで、現象として現れるか、物自体として理解されるかが変わるという点にあります。これは、現実をどのような次元から見るかによって、その現れ方が変わるという洞察であり、認識と実在の関係に関する深い理解を促します。
カントの哲学に関するヌーソロジーのこの考え方は、私たちが経験する現象の背後にある実在をどのように捉えるかについての重要な視点を提供し、科学的な実験や哲学的な議論における新たな可能性を開くでしょう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ChatGPT, カント