7月 29 2022
円心のアニメーション
下はゆいさんによる円心のアニメーション。
青の円が垂質に入る位置。赤の円がその反映を表します。赤の円は観測者の自転によって見えている円です。青の円側では赤の円周上のすべての位置は一点に統一され、観測者の自転として感じていた運動が公転運動のように見えます。これは例のキットカット実験の幾何学的構成です。
円心が見えてくると、自分が日頃見ているすべての対象の位置は実は一点で重なっているのだ、という感覚が生まれてきます。この空間がヌーソロジーが持続空間と呼んでいるものです。持続空間は〈わたし〉という存在の精神的基盤を規定している空間です。
この円心が表すカタチは原始キリスト教では「魚の浮袋」と呼ばれ、イエス・キリストが宿る場所とされていました。というのも、このカタチの中に肉体と霊の接続があると考えられていたからです。
ヌーソロジーから見ても、赤の円を肉体を原点とした物質空間の世界と見れば、青の円は肉体に宿っている霊的空間と呼べるものになります。シュタイナーにいう物質空間とエーテル空間の関係です。
私たちの通常の意識は、肉体側に自己中心化の位置を持っているので、赤側の円を拠点にして働いています。自分の周りに広がっている空間というイメージです。
青側の円の方は完全に無意識化して、分からなくなっています。それは私たちの自我が〈見られる〉ことに依存して出来上がっているからです。〈見られる〉がまず最初にあって、そこから〈見る〉を思考している―それによって私たちの自我による主観性が作られています。
本来は〈見る〉が先にあります。その空間がこの青の円の方です。この青側の円は〈見られる〉が先行した空間においては、小さく小さく収縮して赤側の円周上の一点に姿を表します。物理学はそれを素粒子(物質粒子)と呼んで、物質の最小の構成単位と考えているわけです。
この歪んだ主観性が正常な位置に戻るときに、この円心認識は生じます。それこそ、時空に沈んだ人間の魂(魚)をサルベージするわけです。
8月 3 2022
開き出すヒトツカタツミの世界
粒子の”運動”量という言い方に昔から違和感がある。粒子は運動なんかしていない。時空先行の認識が粒子に運動イメージを与えている。ヌースでは粒子の運動量を対象認識(垂子)の持続量として考える。持続がまず振動数ωとして時間換算され、さらに空間換算され、波数kとして表現されているイメージだ。
垂子は空間を巻き込み、垂質は時間を巻き込んでいる。この巻き込みを繰り広げへと変換する操作が波動関数の空間微分だったり、時間微分だったりする。空間で微分すれば運動量、時間で微分すればエネルギーが時空認識に合わせた形で巻き込み(持続)の中から一定の量概念で取り出せるというわけだ。
垂質の大円は波動関数の重ね合わせΣcnΦnとして表現され(cnは展開係数)、そこでどの垂子を選ぶかがcnの絶対値の二乗として存在確率で表される。垂子はΦnを意味し、今度はその絶対値の二乗が粒子の存在確率として表される。垂質→垂子→点球。持続から観察への次元降下が二段階の確率階層の意味だ。
このように、量子力学は私たちの持続の構造を時空上で量的に記述しようとするために複雑な数学で表現されるが、その本質は極めて単純な次元のレイヤー構造から成り立っている。それをカタチとして端的に表現しているのがヘキサチューブルだと思って欲しい。
4月からサロンで砂子さんの量子力学教室も始まった。今までエキスパートで話してきた観察子構造のカタチがよりハッキリとみんなの意識の中に浮上してくるんじゃなかろうか。旋回的知性(ヌース)の解禁だね。
※下写真は【NOOSOLOGYのためのBlenderCG講座】 DEMO PVより借用
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ヘキサチューブル, 量子力学