6月 12 2015
ヌースレクチャー2015 大阪 VOL.1のライブビデオ公開 part3
「ケイブコンパスと観察子 Part1」
ヌーソロジーが宇宙と呼ぶのは人間の内在性です。この内在宇宙の中に次元をカタチとして見出していくのがヌーソロジーの作業です。その作業を開始していくに当たっての基礎的な概念について説明していっています。
6月 12 2015
「ケイブコンパスと観察子 Part1」
ヌーソロジーが宇宙と呼ぶのは人間の内在性です。この内在宇宙の中に次元をカタチとして見出していくのがヌーソロジーの作業です。その作業を開始していくに当たっての基礎的な概念について説明していっています。
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半田広宣 |
6月 19 2015
ヌースレクチャー2014 IN 東京 第6回のご案内
第6回のテーマ「カタカムナとヌーソロジー」
デカルトは物体がなければ空間は存在しえないと言った。デカルトにとって空間とは物体が持った延長性にすぎなかった。この考え方が現在も人間の空間の見方を支えている。デカルトのいう通り、そのような空間はすべて物体と大差がない。つまり物質の空間なのだ。
ヌーソロジーは逆にこう言いたい。「空間が存在しなければ物体は存在しない」と。ただし、この空間はデカルトの言う延長などではない。むしろ彼のいう精神の方だ。デカルトは精神の在処が”奥行き”にあることに気づかなかった。精神の本性は奥行きの空間にある。物体はこの奥行きとしての精神から創造されていくのであってその逆ではない。
デカルトのように延長として空間を思考し、そこに座標や尺度を設け、物体の運動を数学化してみせたとしても、奥行きを忘却している限り、ほんとうの宇宙に触れることは決してできない。
カタカムナはこの延長と精神のつながりを熟知していた。延長は精神へと吸収され、精神はその内部から再度、延長を表出させる。この延長(幅)から精神(奥行き)への反転の身振りを、カタカムナ人たちの哲科学は「アマ」が「カム」を指向する思念とし「アマヒ」と呼んでいた。そして、その「アマヒ」はソコ(膨張)とソギ(収縮)のトコタチ(共役共有性)として正反双方向にメグルアマとして循環し続けていると考えていた——。
カタカムナの哲科学はこの日本においてまもなく甦る。日本語の精神はそのために生きている。この復興に少しでもヌーソロジーが役立つことができれば、と心から思っている。
このレクチャーシリーズの最終回です。皆さんのご参加をお待ちしています。
ヌースレクチャー2014 in Tokyo 第6回のご案内
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー, カタカムナ関連 • 0 • Tags: カタカムナ, デカルト