6月 19 2018
デプスチルドレン
現在、準備中のヌース映画本のタイトル―『奥行きの子供たち』。
未だに現れない恋人たちの共同体を求めて、
何を語るべきかいろいろと迷った。。
大ヒットした作品ほど、実は、無意識の露出が大きい。
残念なのは、それが大量の貨幣によってぼかされてしまうこと。
映画は無意識の彫刻そのものだ。
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![]() | 半田広宣 |
7月 30 2018
社会的個が作る社会ではなく、精神的個が作る精神社会へ
「つながり孤独」―クローズアップ現代。
社会的個のイメージしか持てない人たちが増えているってことだろうね。つながるべきは、ほんとうは自分。精神的個の価値について語る人たちがあまりに少なすぎる世の中だから、こういうことになる。
社会的個と精神的個という言葉の意味合いについては、こちらへ。
「女なるものへの生成変化」
孤独をネガティブなものとは見ず、ポジティブなものと見る視座が必要だね。言葉は公共性を組織化するものだけど、言葉本来のベクトルはその公共性から巣立つ方向に向いている。その方向性をつねに前のめりに模索することが大事。
自分のアイデンティティーを社会的個の中に求める時代は終わりつつある。それを精神的個の位置へと戻すこと。そして、その精神的個が形作る精神社会というものをイメージ化、言語化していくこと。社会そのものにとっても社会だけでは十分ではないと、皆んな重々承知しているのだから。
ヌーソロジーの作業もそういうものの一つだね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 09_映画・テレビ • 0