9月 28 2018
世界はペンギン・ハイウェイに向かっている?
素粒子で世界ができているのではなくて、素粒子の中に世界が現れている、と考えるのがヌーソロジー。前回の「ペンギン・ハイウェイ」じゃないけど、宇宙の外部は反転して物質の内部に入り込んでる。奥行き(虚次元)が見えてくるとそれが分かってくるんだけどね。
みんな、素粒子が小さなものだと思っているけど、
それは間違い。
素粒子が世界を包んでる。
それは、奥行きが幅の世界を包んでいることに同じ。
それは、永遠が時間を包んでいることに同じ。
だけど、包んだものは一瞬で世界の根底に潜り込む。
極大は極小に等しい。これがモナド化の原理。
もっと、分かりやすく言おうね。
横から見ると奥行きは幅に見えるはず。
この幅のように感じている奥行きと、
本来の奥行きはまったく別のものと考えなくちゃいけない。
何かを見るということは、
その二つの奥行きの重なりによって初めて成り立っている。
幅化した奥行きは物の像をクリアに浮かび上がらせるため。
本来の奥行きはその像を持続させるため。
そうやって、二重化した奥行きがあって、初めて、知覚がイマージュとして成り立ってる。
瞬間が永遠の中に運ばれて行っている様子だよ。
こうした役割を果たしているのが、本当は素粒子なんだ。
物理学は幅化した奥行きだけでしか奥行きを見てないから、素粒子も対象として見てしまうんだね。その捉え方自体が間違っている。
素粒子というのは、その対象を見ている自分自身なんだよ。それは幅化した奥行きの中では無限に小さいところにあるように見えてしまう。
空間のこの二重化の仕組みが分かれば、無限大=無限小は何らパラドックスじゃなくなる。幅と奥行きの関係のことなんだよ。
そして、この奥行きの方は能産的自然、つまり、物質を作り出していく精神の世界に繋がっている。
ここに開けた一本道が、ペンギンハイウェイだね、きっと
11月 1 2018
「オイディプス神話」の映画
前回紹介したスフィンクスの物語を題材にしたエッセイは、ソフォクレスの悲劇「オイディプス王」の神話分析をヌーソロジー的視点で行ったものです。
1967年に名匠パゾリーニが映画化もしています。邦題は『アポロンの地獄』。興味がある方はレンタルビデオ屋さんで探せば、見つかるかもしれません。
パゾリーニの映画とか、僕らが中学生の頃は、普通にロードショー公開されていた。今観ると、完全にカルトムービーに見えるのが悲しいというか、辛いね。神話自体が存在の記憶なのに、その神話の記憶さえ消滅しかかっている。神話がないと人間は生きていけないというのに、ね。
ご参考までに。
Oedipus Rex Trailer 1967 Pier Paolo Pasolini Masters Of Cinema Edipo Re
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 09_映画・テレビ • 0