4月 30 2005
ウィンターボトム監督
連休ということで、DVDをたくさん借りてきた。さっそくマイケル・ウィンターボトム監督の「in this world」を鑑賞。
この映画、数年前、話題になっていた(ベルリン映画祭金熊賞受賞)のでタイトルだけは知っていたが、なかなかよい映画だった。テーマは自由への逃走。舞台はアフガン。今はほとんどの人が忘れ去ってしまっているあの「タリバン」のアフガンである。
この映画を観て再度、思い出させられたが、アフガンってほんまに可哀想な国である。80年代はソビエトに無茶苦茶にされ、その結果、あのタリバンが台頭。今度はアメリカがしゃしゃり出てきてタリバンを蹴散らしたはいいものの、あとは知らん顔。結果、国状は20年前とは比べ物にならないほど荒廃し、困窮し、今や難民だらけの国になってしまった。映画はそんなアフガンの一地方の村から将来を夢見てロンドンに渡ろうとする少年とその従兄弟の決死の道中記を描いたものだ。当然、難民のロンドン行きであるから、国費留学とかワーキングホリデービザなどといった悠長な話であるはずがない。不法移民の命がけの逃避行である。アフガニスタンからパキスタン、バキスタンからイラン、トルコ、イタリアと一種のロードムービーのスタイルで話は進んで行くのだが、とにかくドキュメンタリータッチの撮影手法がうまい。おそらく、ほとんど手持ちの8mmビデオカメラで撮っているのだろう。それらをあとで巧みにデジタル処理して、独特のfact感、リアル感を演出している。特にイランからトルコへ冬山を越境する場面の赤外線撮影の映像には思わず息を飲んだ。
ちなみにこの映画の主役を演じている少年ジャマールくんと従兄弟役のエナヤトゥーラくんは、実際にともに難民キャンプで育った人たちらしい。というか、出演者のほとんどが素人ではないだろうか。。とにかく、実写もののドキュメンタリーを観てるようなリアルさだった。アフガンの窮状をとことん思い出させてくれただけでも★★★★の作品。みんなも忘れ去られてしまった、中村さんのペシャワール会に寄付しよう。中村さんは博多の人なのだ。
5月 1 2005
ウィンターボトム監督 2
昨夜「in this world」を観て、ウィンターボトムがちょっと気になる存在になったので、さっそくビデオ屋から彼の最新作の「code46」をゲット。昨日の「in this world」がまだ頭にこびりついていたせいか、最初は作品のテイストの違いにちょっと戸惑った。しかし、観ているうちに、その映像感覚に脱帽。へえー、こんな映像取れる人なんだぁー、とひたすら感心して観てしまった。「code64」の方は、うって変わってSFもので、硬質な叙情詩風の作品である。舞台は近未来の上海。この上海がまたすごい。リドリー・スコットが「ブラック・レイン」を撮ったOSAKAの街もきれいだったが、このウィンターボトムの描く上海ははるかその上をいっている。時代設定は数十年後だったと思うが、そこではすでに国家概念も希薄になり、世界全体があたかもEUのような統治機構を敷いている。社会はすでにクローン技術も容認し、その制度によって生まれた人間たちも実社会に入り込んで生活している。ただ、優勢学的見地から遺伝子が両親と25%、50%、100%一致する可能性のある生殖は禁止されている。その禁止コード名が「code46」というわけだ。つまり、クローン人間が一般人と混じって生活しているので、いつどこで、近親相姦が起こるか分からない。この映画の場合、主人公ウィリアム(ティム・ロビンス)が出会って激しい恋に落ちるマリア(サマンサ・モートン)が何と自分の母のクローンだったという設定。
このcode46の映画評を見ると、単なる不倫ものの映画にこんなややこしい設定は必要ないだろう、とか、S・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」のSF版とかいった、おバカな意見をのたまっている評論家もいたが、個人的にはこの映画は一つ間違っていれば大傑作になっていた可能性があるのではないか、と感じた。しかし、一つ間違わなかった(笑)。その意味で、無茶苦茶惜しまれる作品ではある。何が良かったかと言って、やっぱり、この人、映像と音楽のマッチングセンスが近来稀に見るくらいいい人だ。とにかくそのマッチングによって醸し出されてくる叙情感の質がとても新しい。カメラアングルが凝りすぎてちょっと食傷気味になるところもあったが、音楽センスがそれを十分にカバーしていた。特に、クラッシュのミック・ジョーンズが禿げたおっつぁんになって「Should I Stay Or Should I Go?」を酒場で歌うシーンにはびっくり。このセンス、すげぇ。。。わたしのようなタイプは唸らざるを得ない。最後のコールド・プレイの音楽もグー。やるな〜うぃんたあぼとむ。。。
傑作になりそこねた要因はズバリ言って二つある。一つは神話素の盛り込みが中途半端だったこと。もう一つは、クローン技術に関するサイエンティフィクな背景と、ポリティカルな体制描写がほとんど描かれていなかったことだ。これらの部分の描写にもう30分ほどタケを長くしていれば、それこそヌーシスト半田広宣好みの最高傑作となっていたのは間違いない。ここでいう神話素とは、ウィンターボトム監督自身は意識していなかったと思うが、この作品が十分に一つのオイディプス物語の系譜を踏んでいるということだ。
code46の46は当然、人間の染色体の数からきたものだが、この母のクローンと生殖関係を持ってしまうというストーリー、これはヌース理論がいつも言っている、人間の無意識の今の現状のことである。さらには、女の名がマリアとなっていること。この役にサマンサ・モートンというちょっと太めの風変わりな女優がキャスティングされたのも、少女性と母性を併せ持つ、そうした両義的な女が描きたかったからだろう。人間の無意識の二つの性格(潜在化と顕在化)とはそういったものである。そうしたヌース的イマジネーションも含めて、この作品のポテンシャルビジョンを広げれば、十分に酔いしれて堪能できる作品である。実に惜しい。★★★★。
それにしても、この監督の名前もすごすぎないか。マイケル・ウィンターボトムだぜ。。。意訳すると、冬至のミカエルじゃんか。いまにもキリストさんが出てきそうな感じ。
By kohsen • 09_映画・テレビ • 2