7月 29 2005
いいSF映画がない。
SF映画に目がないわたしは、常時、新作のSFものをサーチしているが、今月初め、公開と同時に観に行った「宇宙戦争」があまりに期待ハズレだったので、今回は、最初から期待薄の「アイランド」に、それこそ全く何の期待もせずに機械的に足を運んだ。
監督はマイケル・ベイ。映画好きの人であれば、あの「アルマゲドン」や「ザ・ロック」の監督さんと言えばおなじみだろう。ベタベタのハリウッドアクションものを撮らせたら、右に出る者はいない、いや、誰も出たくないのかもしれないが、とにかく、ビルや車がぶっ壊れるCGを多用したド派手なアクションものを十八番とするB級大作ものの監督さんである。「アルマゲトン」にしろ「ザ・ロック」にしろ、理屈抜きで見れば楽しめるのだが、ベタベタなCGアクションに加えて、ブルース・ウィリスとか、ニコラス・ケイジとか、これまた脂質たっぷりの男優さんがセットでくっついてくると、かなりコレステロール度が高くなり、ついつい日本茶は出ないのかぁ!と叫びたくなってしまうものだ。
しかし、今回のこの「アイランド」、主役がどんな危ない目にあっても絶対に死なないという不自然さは相変わらずだが、ベイ監督作品としてはかなりいい出来のように思えた。まず役者の選出がなかなかグーだったのではないか。共演のユアン・マクレガー、スカーレット・ヨハンセン。この主役コンビのアッサリ度がドラマの展開に軽快さとスピード感を与えていたし、その他の脇役陣もなかなか渋かった。
ストーリーの内容は近未来のクローンビジネスを題材にしたものだが、印象としては「マトリックス」や「トータル・リコール」「ブレード・ランナー」を掛け合わせて立方根を取ったような内容である。自分をクローン人間と知らず育った主人公が、あるとき事実に気づき、仲間のクローンたちを幻想の牢獄から救済する。いわゆる自由への逃走ものだ。テーマ自体への深い掘り下げはなかったが、美術や小道具などへの配慮が行き届いていて、舞台としてのトータル感は結構あった。ただ、これはどうひいき目に見てもSF映画とは呼びにくい。やっぱり、ベイ監督お得意のド派手なアクション映画である。アクションものが好きな御仁は映画館に足を運んでも損はないと思う。無理な相談なのかもしれないが、個人的には、ジョージ・ルーカスの劇場デビュー作である「THX1138」やマイケル・ラドフォードが撮った「1984」のような、硬質な雰囲気をもう少し入れて欲しかった。ラストは結構、カタルシスがあるかもね。。
8月 1 2005
第10惑星ペルセポネー
カフェ・ネプでも話題になっている話題だが、カリフォルニア工科大学のブラウン(Mike Brown)博士らの研究チームが、太陽系で10番目の惑星の可能性がある候補天体(仮名称「2003UB313」)を発見したことを公表した。何でも大きさが冥王星の1.5倍ほどあるらしく、今後、国際天文学連合で討議され、正式な第10惑星とするかどうかかが決定されるらしい。
http://www.asahi.com/international/update/0730/009.html
ヌースファンの方はよくご存知かと思うが、ヌース理論では第10惑星の発見を人間の意識進化の吉兆として伝えてきた経緯がある。拙著「シリウス革命」でも、2013年までに第10惑星が発見されるだろうという予想も記した。今回、発見されたこの天体が第10惑星であれば、それなりにおめでたいことではあるが、個人的な直観としては、まだまだこころもとない感じがしないでもない。別にこれといった根拠があるわけでもないのだが、第10惑星にしてはちょっと地味な感じを受けるのだ。第10惑星の発見はもっともっと華々しい花火のようなイメージでなければならない。わたしが勝手にそう妄想しているだけのことなのだが………。
第10惑星の出現の意味。それは人間の歴史がプルートー的危機から脱し、真の未来へのステップへと歩み出すことの証だ。プルートー的危機とは、1930年(冥王星の発見年)以降、量子論や核開発が世界にもたらしてきた人類の危機的状況を意味する。量子論からは認識の危機、核開発からは生命の危機がもたらされた。この状況は、むろん、現在でも続いてはいるが、その終わりを告げる福音となるものが第10惑星なのである。
今回の天体の是非はともかく、いずれにしろ、近い将来、第10惑星は必ずや登場してくることになるだろう。その正式名称は勝手ながら「ペルセポネー」がいい。ペルセポネーとはギリシア神話に登場する冥界の王プルートーの妻の名だ。ヌース的には定質(Ω11)が冥王星に対応しているので、その反映の性質(Ω12)が第10惑星の力ということになる。その姿を顕在化させるのはヌース的文脈ではΩ13ということになる。
神話では、ペルセポネーは元来「乙女(コレー/Kore )」と呼ばれる美しい娘だった。その美しさに目をつけたブルートーが強引に冥府に幽閉し、自分の妻としたのだ。ここで、ちょっと映画「マトリックス」を思い出してみよう。アーキテクト(神)が作った原プログラムであるメロビンジアンの妻が確かペルセポネー(英語読みでは「パーセフォネー」)という名前になっていた。モニカ・ベルッチが演じていたあの妖艶な美女である。この命名はかなり的を射ている。メロビンジアンとはマトリックスを動かす原プログラムのことだった。このプログラムは人間の性欲を支配し、物質的欲望を加速度的に助長させていく働きを持つ。まさにプルートーの役割と瓜二つだ。美しい妻ペルセポネーはそうした夫を嫌ってはいるものの、表立って反抗することはできない。しかし、彼女はネオが現れることによって、彼の魅力に惹かれ、メロビンジアンをいとも簡単に裏切る。
神話でも、冥府の妃神ペルセポネーは地下の顔と地上の顔を持つ。地下の顔は恐ろしい化物や怪物を生み出す夜の女王としての顔だが、一方、地上の顔は豊かな収穫の乙女のそれである。地下の顔とは月、地上の顔とは第10惑星。地上の顔としての乙女ペルセポネーが行う収穫とは、実は魂の収穫のことだ。つまり、第10惑星とは人間の魂の収穫のために現れる惑星なのである。最終構成から方向覚醒へ。プルートー的危機の後にはそうしたペルセポネーの時代がやってくることだろう。
ペルセポネーの地上の顔である第10惑星、そしてその地下の顔である月。ドゴン族の神話では、「10番目の月」が現れるときに、シリウス星系からノンモと呼ばれる水陸両生類が地球に飛来してくるという。何でも、ドゴン族自身が過去、この地球に飛来してきたノンモの子孫であり、長い年月を経て、再び、彼らを迎えにやってくるというのだ。ノンモ、シリウス、両生類。。すべてのナゾはペルセポネーの出現とともにおのずと解かれていくことになるはずだ。言うまでもないことだが、人間は今なお、魚である。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 09_映画・テレビ • 0 • Tags: シリウス革命