5月 8 2017
非局所的空間認識の世界を開くために
観測者とモノとの相対関係において、モノが回転して見える運動は次の三種類があります。
【1】モノの自転。
【2】モノの周囲を観測者が公転しながら、かつ自転。
【3】観測者の周囲をモノが公転しながら、同時に観測者も自転。
※【2】【3】においては、自転と公転は共に同期している
これらの回転によって作り出されている空間の階層性は意識が純粋な持続空間に出るまでの階段のようなものになっています。ヌーソロジーが用いる次元観察子でいうとそれぞれΨ1~2、Ψ3~4、Ψ5~6の階層性と言っていいでしょう。
前回リンクした動画に当たるのが【3】です。
【1】の「モノのかさばり」が作り出している空間を時空と仮定し、観測者から見た奥行きと幅を虚軸と実軸に対応させると、【2】は波動関数Ψ、【3】は状態ベクトルΨが回転する複素ヒルベルト空間に対応してくることが予想されます。
【3】の上に来るのがおそらく純粋な持続空間としてのアイソスピン空間です。ここは無意識において自己と他者の奥行きの交換が行われているところです。
この純粋な持続空間が【1】のモノの自転の空間(物質空間)に重なっています。それが局所的回転と非局所的回転の関係になっています。非局所的回転とはその意味で回転のイデアと言っていいかもしれません。これは自他の眼差し(奥行きと幅)の交換から時間と空間が生まれてきているということを意味しています。
自他の眼差しの交換は一つの物体を取り囲む多視点への奥行きの旋回の領域と言ってもいいでしょう。映画「マトリックス」のあの有名なシーンを思い出すといいと思います。時間が止まった状態でのカメラの移動です。あの撮影手法は「バレットタイム」と呼ばれますが、空中に飛び上がったトリニティは皆さんの目には回転しているように見えたはずです。これは自己だけの視点では構成できない回転です。瞬間性の中に無数の視点がないと無理です。映画ではデジタルビデオカメラを無数並べてこれらの視点を実現させています。
持続におけるこれらの空間階層を時空の中で見て、それをミクロの対象と勘違いしてしまっているのが現代物理学だと言っていいでしょう。
時空の中に表現されたものたちで世界を思考するのではなく、時空の中へと表現しているものたちとなって世界を思考していくこと。すでにそういう時代が始まっています。その方向に思考を向けて行きましょう。それが世界を裏返す反転認識というものです。
この構成が意識に浮上してくるところから、非局所的空間認識の世界が開いてきます。本来は、それが「霊視」と呼ばれているもののことなのです。
6月 2 2017
新しい場所論を!!―無頭人たちが生きる場所
目の前の奥行きには、「収縮としての奥行き」と「弛緩としての奥行き」が重なり合って存在させられています。例のバイスペイシアル認識というやつですね。前者が虚軸で、ベルクソンの言葉でいうなら純粋持続(無意思的記憶)の役割を担っており、後者が実軸で、こちらは純粋知覚(瞬間的知覚)の役割として働いています。
今のわたしたちは、前者について全く無自覚で、後者だけで世界を見ているということが分かります。虚軸が真横にずらされて、奥行き方向に実軸=幅しか感じ取ることしかしていません。「他者視点から世界を見る」という他者-構造に空間認識が支配されて、自己のアイデンティティを保証している持続空間が見えなくなって、無自覚のまま無意識的に働いているわけです。
これからの時代、この是正が始まっていくと思います。世界の土台への沈み込み=巻き込みの方に意識が方向性を変えていくということですね。この反転は、人間をマクロ空間に生きる物質的生き物から、ミクロ空間に生きる霊的生き物へと変態させ、物質世界を内部側から見る知覚(正確には超感覚的知覚)を発現させてきます。
幅認識で世界を構成している意識の組織化が経験的自我で、奥行き認識で世界を構成している意識の組織化が超越論的自我と考えるといいでしょう。後者の組織化が認識に浮上することにより、意識は相関主義が形作る円環から逃れその外部へと出て行きます。それがドゥルーズがいうところの「差異化」です。
もちろん、こうしたバイスぺイシアルな空間認識を達成することがすべてというわけではありません。重要なことは空間認識がそのような変化を見せ始めたときに、この差異化していく空間思考にどのような新しい空間感情が伝播してくるのか―。思考者はその共振に常に注意を払っていくことが重要です。
この世界認識の型(ヌーソロジーでは「トランスフォーマー型ゲシュタルト」と呼んでいますが)は、シュタイナー風にいうならば、イマジネーション認識の土台となるもののように思えます。人間の経験的自我が生み出すほとんどの意識的内容物が、時間と空間という感性における直観形式を土台にした培養物として生まれているように、この新しい世界認識の型は霊我(シュタイナーのいう高次の自我)における直観形式を決定づけ、その形式に合わせた新しい超感覚的な知覚的内容物を用意してくるのではないかと思っています。
その意味で言えば、トランスフォーマー型ゲシュタルトとは今までの時間と空間に変えて、無時間世界(持続空間)の中において、新しいトキとトコロを用意する場所論のようなものとも言えるのではないかと思っています。
素粒子とは、このトキトコロの場所が「響き(霊引き)」として存在させられているものであり、この「響き」を聞き取るところにわたしたちの意識が発生しているとも言えます。
そして、そのトキトコロの響きを追って、そこに響きの起源となっている「響かせているもの」の空間形態をトレースしていく純粋思考の力がそのまま元素体の生成へと繋がる仕組みになっているようです。そのトレースをケイ素体まで導くのが、OCOT情報がいうところの「シリウス」です。14のイデア空間です。
かなり、ブっ飛んだ話をしている自覚はあります(笑)。しかし、奥行きが見えてくれば、この話は単なるトンデモだけでは片付けられない、「ありうる」「ありうべき」話として聞こえてくるのではないかとも思っています。未だ誰も超越論的なものの在り処について明確に指し示した人はいないわけですから。
無頭人(アセフェル)のゲシュタルトが目撃する新しい場所。それを作れ、そうすれば、彼はやって来る―。フィールド・オブ・ドリームスのアレですね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 09_映画・テレビ • 0 • Tags: OCOT情報, シュタイナー, トランスフォーマー型ゲシュタルト, ドゥルーズ, ベルクソン, 奥行き