7月 10 2008
時間と別れるための50の方法(18)
●4次元時空と4次元空間(2)
さて、この第4の次元の基底の符号の違いが実質として何を意味するものなのか、それを発見することができれば、僕らは4次元の世界を時間ではなく、空間的な描像として思い描く可能性がでてきます。
普通、僕らは第4の次元の方向というと、3次元方向の軸が2次元の軸に直交することから、今度は3次元に直交する「軸=線分」のイメージでその方向を探そうとします。しかし、いくら探しても僕らの目の前の空間には、タテ、ヨコ、高さ方向としてのx、y、z軸以外見つかりそうにありません。結果、4次元の方向なんてものは所詮、人間の認識が及ばないものなのだと結論づけてしまいます。果たしてそうなのでしょうか。僕らは何かの理由により催眠術にかかっていて、本当はありありと存在している4次元の方向を見逃しているだけかもしれません。OCOTは4次元方向について次のように言います。
あなたがたが今持っている3次元認識からこの4次元認識への移行は同じ1次元の差であっても、2次元から3次元へ移るのとはかなり大きな違いがあります(『人類が神を見る日/アドバンスト・エディション』第1部p.86)
この言葉に含まれている真意は、おそらく4次元の方向が一般の解説書に見られる1次元(線)→2次元(面)→3次元(立体)というような積み上げ式の描像によって為される次元上昇の在り方とはちょっと異なっているということを暗示しています。では、一体どのように違うというのでしょうか。4次元空間が何か皆目見当がつかなければ、負の4次元とも言える時間側からその手がかりを探るしかありません。そこで時間が3次元空間に対してどのような出現の仕方をしているかを見てみましょう。
このとき時間と空間の媒介となっているのが光です。光は空間を球面状に伝播していくので、3次元空間に埋め込まれた2次元の球面の方程式は時間tを使って次のような式で表すことができます(下図1参照)。
x^2+y^2+z^2=(ct)^2
左辺に移項させると、
x^2+y^2+z^2-(ct)^2=0
となり、時空における4次元不変距離が出てきます。
このことは、モノから広がる3次元においては4次元としての時間の方向性は球体状のカタチそのものとして現れる、ということを意味しています。僕らがよく、一光年先に見える天球面の情景が1年前のものだと結論づけるのも、光速度を媒介としたこのような空間と時間の関係性から言えることです。
そこで、この球面のイメージをあえてψ4の球空間に当てはめてみることにします(下図2)。ここで「あえて」と言ってるのは数学で扱う3次元空間の概念はヌース的にはψ4とψ*4の同一化(両者間の反転関係が見えなくさせられているということ)から生まれているものだからです。この同一化が起こる仕組みをヌース理論の観点から説明するためには、ψ9〜ψ10レベルの解説が必要になります。ここでは煩雑になることを避けて、「あえて」ψ4に対応させることにします。
モノの手前に観測者としての「私の顔」が想定される(これが人間の内面としてのψ4球空間の半径が持つ意味でした)ことによって、モノと「わたし」は分離を余儀なくされ、その引き裂かれた距離は図1におけるctに相当してくることが分ります。このctの意味は、観測者に見えているモノは決して現在、現時点でのモノではなく、モノから放れた光が観測者の顔に届くまで時間を要するのでわずかに過去の姿になってますよ、というくらいの意味です(このモノと観測者を分離させている力の本源力は実は左右方向からの認識の入射にありますが、ここではまだ説明する材料が足りないので割愛します→いずれψ9(思形)の解説のところで出てきます)。
さて、今度はこのψ4の球空間をψ3側に反転させてみましょう。この反転した球空間の半径は明らかにctでは表せないものであることが分ります。この反転操作は時間的には時間自体を裏返すことと同じ意味を持ちます。時間の反転は物理学の表記では時間tに虚数iを掛けることに相当し、虚時間と呼ばれ、これはt→ i t で表すことができます。すると、反転した球空間ψ3の球面は、
x^2+y^2+z^2=(cIt)^2=-(ct)^2
となり、移項すると、
x^2+y^2+z^2+(ct)^2=0………(こちらはψ3とψ*3の同一化が作り出しているものと考えられます)
となります。
ctを第4の次元と考えた場合、これは4次元空間に埋め込まれた半径ゼロの3次元球面という高次の球面として解釈することができます。まぁ、半径ゼロだったら球面もクソもないわけですから、3次元球面が半径ゼロにまで潰された状態と言い換えたほうがいいのかもしれません。いずれにしろ、反転した球空間ψ3側は「時間が存在しなくなる」わけです。その意味でこれは光速度状態そのものと言っていい場所になります(光速度では時計が止まるということ)。
ここで以前に行なったψ3の球空間をイメージするためのワークを思い出して下さい。絶えずモノを見つめながら、その周囲を回転したときに、モノの中心とその背景面方向に向かっていると想定される視線の貫きが作る球空間……それがψ3の球空間の意味でした。そして、その方向は奥行きが一点で同一視されているために中心点とほとんど見分けがつかない、という言い方をしたと思います。どうでしょうか。この式のイメージにかなり似ていませんか?
——つづく
7月 14 2008
時間と別れるための50の方法(19)
●4次元と垂子
さて、ここで思い出して欲しいのが、前々回紹介したシリウスファイルの内容です。
「モノから広がっている3次元の方向性はシリウスでは何と呼ぶのですか?」
「垂子(スイシ)です。垂子とは線です。」
僕自身、この情報を受け取ったばかりの頃は、OCOTが何を伝えたいのか皆目、見当もつきませんでした。しかし、あれこれと考え続けるうちに、この「垂子(スイシ)」という概念が4次元方向の軸そのもののことを語っているのではないか、という見当がついてきました。「スイシ」という言葉は単に音声で伝えてられてきたものだったのですが、この言葉に「3次元に”垂”直に交わる観察子」という意味で「垂子」という漢字を当てたのも、「スイシ」が僕らにとっての4次元の方向を意味する概念ではないかと直感したからです。
どうやら4次元の方向の「軸」は、僕らの空間認識ではモノから広がる3次元の「球空間」そのものとして入り込んできている………このように考え出すと、今までお話してきた、ψ3とψ4という互いに反転した3次元の球空間が4次元世界を構成するための第4の軸と深い関係を持っているのではないかということが予想されてきます。そこで、このイメージをより強固なものとしていくために、ψ3~ψ4が形作る3次元の二つの球空間の関係を、他者側からのψ*3〜ψ*4も考慮した上で、次元を一つ落とした形で比喩的に表して見ることにします(下図1参照)。
この図1では例によって3次元空間が平面で表されています。4次元方向の軸はこの平面に直交する一本の線として表わすことができますが、このとき、ψ3〜ψ*3が形作る3次元の球空間は原点0で互いに接する二つの小さな3次元球面P、P*として描かれています。球面P、P*はともに4次元方向の半径 i t(- i t)がゼロにまで潰されたものなので、原点0そのものと言い換えてもいいのですが、ここには相互反転関係における外面と外面*という差異が存在しているわけですから、その4次元球体の半径が無限小の長さを持つという意味でΔw、−Δwとして示しています。これらψ3〜ψ*3の方では3次元空間が球面上に丸められともに無限遠方が一点∞と∞*で同一視されているのが分ります。当然のことながら、相互反転した3次元空間上の無限遠を意味するこの2点は4次元軸上にあります。
一方、ψ4〜ψ*4それぞれの球空間は二つのラッパ帽のような曲面(3次元双曲面)として表されています。この形は以下のような数学からの要請です。
x^2+y^2+z^2+w^2=1………これは3次元球面の方程式です
x^2+y^2+z^2−w^2=1………これは3次元双曲面の方程式です
この双曲面を広げていく4次元方向の軸は図にある通り時間tに対応しており、自他における時間の方向は同じですからここではともにtにしています(時間の符号が自他側で変わらないというところが時空がψ4とψ*4の同一化によって生まれているということの意味でもあります)。
このように4次元軸上には軸自体の反転によって、3次元空間を相異なる2種類のカタチで表す方向性が存在しているわけです。ヌース理論ではψ3〜ψ*3を人間の外面のカタチ、ψ4〜ψ*4側が人間の内面のカタチとして考えます。
このことは『人神/アドバンスト・エディション』でも触れたように、人間の外面のカタチが人間の内面のカタチである時空(3次元双曲面)上の一点に小さく丸められて貼付けられていることを意味します。以前この論考で「ψ3は一体どこに行ったのか?」という問いかけをしましたが、この問いかけの答えはここにあります。つまり、人間の外面は時空上のあらゆる原点の中に3次元球面状のモナド(精神=無意識)として映り込んでいるのです。この映り込みが物理学が素粒子の場として記述している内部空間と呼ばれているものとやがて深い関係を持ってくることになります。一言で言えば、内部空間とは無意識化した人間の外面の場の構造体であるということです。このような考え方をもとにして「素粒子空間=人間の無意識構造の場」というヌース理論の重要かつ特異な主張が展開していくことになるわけです。
さて、話を4次元の軸に戻しましょう。上に挙げた図1から、4次元方向の軸は3次元の球空間全体を傘を閉じたときのように一本の線の中に凝縮させている様子がうかがえます。ψ3側とψ4側の違いは、ψ3側が3次元空間の無限遠方を一点で同一視して3次元球面のカタチを半分だけ(多様体としての3次元球面にはまだ成り得てないということ)なぞっているのに対し、ψ4側の方は、3次元空間がそのまま無限に広がって開きっぱなしの状態になっているということが分ります(同様にψ4も多様体としての4次元時空には成り得ていません)。ψ4側で3次元空間が開いてしまった原因は、モノの手前側に自分の顔を想定してまったことです。この想定がなければ視野にはただ無限の深さを持った空間が存在するだけであり、その深みには視野自体を開示させている無時間としての光が存在するだけです。そして、この光の場においては3次元の球空間は一本の線分として見なされなければなりません。これは別の言い方をすれば「この領域に入ったならば今まで球面と見ていたものを点と見なせ」ということです。
球面概念を点概念へと変換する——ヌース理論ではこうした概念操作を「面点変換」と呼びます。次元観察子が上位の観察子へと次元上昇を果たすとき、必ずこの面点変換が起こると考えて下さい。たとえば、ψ1〜ψ2の球空間(モノ)からψ3〜ψ4の球空間(モノの周りの3次元空間)へジャンプしたときのことを思い出してみて下さい。あのとき、モノは回っても背景空間は回っていないという知覚的事実を皆さんは発見したはずです。これは面点変換の考え方を使えば、モノとしての球体がψ3〜ψ4の球空間上では一方向の線分の意味しか持っていないということを意味しているからです。つまり、一個のモノに対する観察の視線はモノのあらゆる見えの空間(ヌースでは表相といいます)を含み持つものとなっていますよ、というわけです。これと同様なことがψ3〜ψ4レベルにおいても起こるのだと考えればいいでしょう。その意味で言えば、ここで起こる第二の面点変換は次の観察子レベルであるψ5〜ψ6領域へとジャンプするための幾何学的な手続きのようなものになっています。この手続きはとても重要です。なぜなら、面点変換によって3次元の球空間を線と見なしたときに、僕らは始めて4次元空間における線の意味に触れることができるからです。3次元空間での線の描像を引きずったままでは4次元は4次元時空としてしか現れることはなく、4次元空間は決して見えてこないのです。
あなたがたが今持っている3次元認識からこの4次元認識への移行は同じ1次元の差であっても、2次元から3次元へ移るのとはかなり大きな違いがあります(『人類が神を見る日/アドバンスト・エディション』第1部p.86)
——つづく
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 0 • Tags: モナド, 人類が神を見る日, 内面と外面, 無限遠, 素粒子, 表相