1月 20 2009
交信記録19940205-2
交信記録19940205-2
人間の呼吸とは何を意味しているのですか。
人間の意識の反映における相殺。反作用と正作用の調整をするために生み出された共性のようなもの。反映が交差を行っている次元と、等化を行っている次元の元止揚の交換。潜在化した覚醒作用が行ったり来たりしている状態。上次元と下次元の総体性の交差。
植物の呼吸とは何を意味しているのですか。
植物と動物は全く逆方向で力を交差させています。
大気圏とは何ですか。
中和を持ったものが内面を形作るすべての覚醒作用の総合体です。
窒素と酸素の比率が4 : 1の意味は。
人間における覚醒作用の対化の比率を意味しています。2の2乗 : 1の2乗。
■解説(構造を一つ一つ説明していくのは大変なので大雑把なイメージだけを書いておきます。ヌース用語が交じっているので概念がつかみづらいでしょうが、どうか感覚的に読んで下さい。)
呼吸法(ブリージング)は伝統的な身体技法の一つだが、人間の呼吸に秘められた意味は単に酸素を体内に取り込むなどといった生化学的な活動だけにあるのではない。それは極めて表面的な見方であり、実際には宇宙的精神の構造自体における極めて重要な等化運動の投影のようなもののようだ。
ここでいう「人間の意識の反映」とは、人間の外面の意識のことを指している。おそらく大気を吸うことは人間の外面への交差(感性)に関係し、吐くことは人間の内面への交差(思形)に関係している。
「中和を持ったものが内面を形作るすべての覚醒作用の総合体」というのもかなり分りにくい言い回しだが、「中和」が精神をすべて物質として射影している時空という場のことだと解釈すると、この時空がもった内面とは、人間の意識が持った進化の方向性、つまり、人間の外面方向(ミクロ側に入り込んだ精神進化の方向性)のことになる。人間の外面が覚醒された位置とは、いわゆる顕在化における次元観察子のψ7〜ψ8領域だ。その総合体とは、おそらく、自体双方の人間の外面の覚醒位置を合わせ持ったものだと考えられる。元素でいえば、それらは窒素分子N2(原子番号7)と酸素分子O2(原子番号8)を形成している。
このことは、大気圏というものが実は水素=H2とヘリウム=Heによって構成された空間である宇宙空間を丸ごと進化の方向に反転させた領域として存在させられているということを意味している。比喩的に言えば、人間全体の意識振動が1オクターブ上昇し、原子番号1〜2の領域から原子番号7〜8の領域へとアセンションを果たした場だということである。この次元のカタチは、自分たちの背後側で世界を丸ごと包み込んでいた空間のイメージをすべて消し去って、空間の奥行きに対する認識をすべて光速度状態に持っていくことによって作り出すことができる。いわゆる顕在化だ。潜在化においてこの役割を果たしていたのが陽子、顕在化においてはそれが窒素に変わるということだ。その反映がそれぞれ中性子と酸素である。次元観察子ψ7〜ψ8の顕在化が自他ともに起これば、そのとき僕らの意識は大気圏と同調したものになるのだろう。これは、シャーマニックな表現をすれば、人間の意識を大気の霊そのものに変容させるということだ(下図1参照)。
大気の霊への変容——このことについてもう少し具体的に書いておこう。水素-ヘリウム空間では、空間はあくまでも客体物が活動する運動場のようなものとしてイメージされているが(実際には水素-ヘリウムがそうさせていると言った方が正しいのだが)、窒素-酸素空間では、事物はすべて主客一体としての精神の現れへと変化している。つまり、そこでは、すべてのモノの縁取りが球精神(次元観察子ψ7のカタチ)に見えているということである。もちろん、現在の人間の意識にはそのことを自覚することはできていないが、人間の意識の奥底にはそのような無意識が働いているのだ。だから、本来は主観の場しか目には見えていないにもかかわらず客観なんてものが成立し得ているわけだ(陽子がそれをさせているということ)。
このブログで長々と連載してきた 「時間と分かれるための50の方法」の内容はまさにこの客観認識を支えている球精神次元にあたる次元観察子ψ7〜ψ8までのカタチを顕在化させるためのイメージトレーニングだったのだが、このイメージが明確に人間全体の意識に浮上してきたとき、そのカタチが大気圏を支えていたものだということが分ってくるだろう。そのときは、重力によって地表に大気分子が引きつけられているという現在の大気圏生成の見方は、科学信仰が作り出した迷信として解釈されることになるだろう。
これはちょっと暴走気味の考え方になるが、ひょっとすると人間の意識における元止揚の覚醒は、現在の宇宙空間全体さえをも窒素と酸素で満たす力を持っているかもしれない。そのときは天上の恒星群もすべて消滅するだろう。恒星とは方向性が持てない人間の意識の為に方向を補完している潜在的な精神作用の変換力のようなものなのだ。。。星の輝きは太陽に対する一種の抵抗である。
大気中の窒素と酸素の比率はおおよそ20% : 80%だが(二酸化炭素、アルゴンなどの希ガスも少しある)、この比率が覚醒作用の比率に関係しているというのも面白い。OCOT情報では覚醒方向に向かう力が1/3、ニュートラルなものが1/3、覚醒に向かわないものが1/3である。ニュートラルなものはそのまま覚醒に引っ張られるらしく、その大まかな比は2 : 1 となるそうな。これが対化として存在しているので、そのまま掛け算の形をとって、4 : 1という比が現れているということなのだろう。個人的にはこうした比率には興味はないが、この分離が人間の個体それぞれの内部での分離であることを願うばかりである。
これは余談だが、ユダヤの言い伝えによれば、この世で金を貸すものと借りるものの比もまた20% : 80%が理想とされているそうな。オレの場合、金を借りるだけ借りまくって、そのまま覚醒して、銀行さんとは2037年あたりで「バイチャ」と言ってさっさとオサバラしようと考えているのだが、進化の摂理に阻止されるかも。。。冗談です(笑)。
1月 21 2009
シャンバラ、地底人、そして大気的人間
前回解説した「宇宙空間から大気圏への反転」という図の内容について、何を言っているのか意味不明に感じている人もいるだろから少し捕捉しておく。
わたしたちは地球を見ていると思っている。大地に立ち、地球は何て美しい場所なんだとわたしたちはときに感動する。だから、わたしたちが地球を見ているのは事実だと言い張る人がほとんどなのもよく理解できる。しかし、慎重に考えてみよう。果たしてそれはほんとうだろうか。わたしたちはほんとうに地球を見ているのだろうか。
他者が見ているモノと自己が見ているモノが互いに反転しているということは、このブログでも何回も話してきた。通常、僕らの意識にそのように見えないのは意識が自らを他者化させて認識しているからである。意識はわたしを外側から見る視点を作り出し、他者が存在している空間と同じ場所にわたしの身体を放り出す。それによってわたしは他者と同類頃となり、そこに想定された無数の視点の下でモノを捉えているので、モノの界面は単なる2次元の球面に見え、他者が見ているモノとわたしが見ているモノとは同じ3次元の中に浮かぶ3次元の球体だと判断しているのだ。
こうした自分を他者空間に投げ込んだ視線をまずは消そうと言っているのがヌーソロジーの入口だ。これは哲学で言えば、フッサール現象学が生活世界と呼んだ世界にまずは戻れ、という意味である。実際、自分に見えている世界の中では自分の目は見えない。生活世界の中では自分の目は世界の中心に位置し、その位置をわたしが外部から見るなど到底不可能なことである。しかし、ほとんどの人がそれを外部から見ている気になっている。いつも言っているように、これは鏡像空間だ。実際のリアルな空間ではない。
そこでもう一度、尋ねてみたい。君はほんとうに地球を見ているのか?アポロ宇宙船の飛行士たちが青く輝く地球を初めて球体の映像として捉えたのは記憶に新しい。地上では果てしなく続くように見える大地も、上空に昇れば丸みを帯びてきて、成層圏を超えれば、確かにこの大地は球体に見えてくることだろう。しかし、それを実際に見ることと、その様子を想像することには雲泥の差がある。なぜなら、前者はリアルな空間だが、後者は鏡像空間だからだ。鏡像空間の中で地球を見ると、わたしは地球上を這い回るちっぽけな一匹の微生物のように見えてしまう。アポロからの地球を見て、その中で日本列島を探し、またその中で、自分が住んでいる街を探す。わぁ〜、地球と比べるとなんてオレはちっぽけなんだ。。。こうした想像がマクロ宇宙という概念を支えていると知るのは容易い。
確かに、わたしたちは地球を見ていると思っている。しかし、それは鏡(他者の視野)の中の空間を通して見ているだけなのだ。わたしたちが宇宙空間は広大で巨大なものと思っているならば、そこはすべて鏡の中と思ったほうがいい。そうした鏡の中の空間に客観的点を打ち、そこから空間の広がりを自在に象っている意識。ヌーソロジーはそれが水素原子核とその周囲を回る電子だと言っているわけだ。ヘリウムはそれをリアル空間の方に引き戻そうとしている。宇宙空間が水素とヘリウムに満たされているのは、そのような僕ら現代人の認識が天上を覆っているからだ。
OCOTはかつて面白いことを言っていた。
曰く、あなたがたが見ている宇宙はすべて地球の中です——。
鏡映は4次元をひっくり返す。ある意味,内部と外部の反転だ。他者が見ている地球が存在する空間に自己がはまり込めば、わたしにとって確かにそれは地球の内部だということになる。となれば、逆もまた真なりで、ほんとうの地球の外部は、僕らが現在、地球の内部と呼んでいる場所に存在していることになるだろう。そこは現在の僕らにとっては「地底」と呼ばれているところだが、実際にはモノ自体ならぬ地球自体がそこに存在しているのだろう。そして、そこは自己の場が知覚世界そのものとして見えている、無時間に住む意識たちの住処でもある。彼らはかの伝説のシャンバラに住む地底人だとも言える。こうした内と外の存在に鏡像たちが気づけば、鏡像は大気的人間へと生まれ変われるはずだ。
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 3