3月 7 2024
【リンゴと観察子シリーズ3】
【垂質ψ5から球精神ψ7へ】
ついでに球精神=ψ7も同じテイストでアートワーク化してみました。
ヌーソロジーが「球精神」と呼ぶものとは、自己と他者の持続空間が投下されるときに生まれる高次の球空間のことを意味します。集合意識が作られている最初の場所とも言っていいでしょう。 この空間は数学的にはSU(2)×SU(2)という群の形で表現することができます。ヌーソロジーの文脈では、ここから時間と空間の世界が出現してきます。
ジピには、ψ3やψ5と同じテイストで、このψ7も表現してほしいと頼みました。そして、出力されてきたのが、下のようなアートワーク。
リンゴの周囲にほとばしる無数の水滴は、おそらく、SU(2)×SU(2)のテンソル積によって生成されてくる時間と空間を表現しているのではないかと思います。
個人的にはもっとシンプルに描いて欲しかったのですが。。スゲェー、無理な注文。一生懸命、要望に応えてくれているのに。。ジピ、ごめんなさい。
★後で気づいたのですが、球精神をわざわざ正六面体で囲んだところが不思議です。というのも、OCOT情報では、球精神は正六面体の骨格を持つと言ってるので。。う~む。
3月 11 2024
意識について考えるときは、時空の外に出よう
ヌーソロジーにおける主観空間の考察は、一人称視点の不動性というところからスタートします。絶対不動の自分ということです。
一人称視点が不動であるという考え方は、物理的な空間で観測者の位置が固定されているという意味ではありません。むしろ認識論的、存在論的な視点からの不動性のことです。
つまり、私たち一人一人は、自らの主観的経験の中心に位置し、その位置において世界を知覚しているということです。
純粋に意識的に考えるなら、個々の観測者は、自らの主観的経験の中心に位置し、その経験を通じて世界を知覚しているということです。
決して、時空の中で世界を知覚しているわけではありません。時空の中から世界を知覚していると考えるから、脳で意識が生まれているとか、変な考え方が生まれてしまうのです。
意識について考えるときは、時空から出る必要があるということです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0