Page 221 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼『人類が神を見る日』読書日記(1) キヒツ 03/1/19(日) 22:58 ┣ルシファー、光りを運ぶもの ヒオキ 03/1/19(日) 23:46 ┃ ┣ブックレビュー bessy 03/1/20(月) 12:31 ┃ ┃ ┣Re(1):ブックレビュー Φ=WHY? 03/1/20(月) 12:40 ┃ ┃ ┣Re(1):ブックレビュー yuugo 03/1/20(月) 21:22 ┃ ┃ ┗Re(1):ブックレビュー RYU 03/1/20(月) 22:14 ┃ ┗Re(1):ルシファー、光りを運ぶもの yuugo 03/1/20(月) 21:23 ┣気で発電する キヒツ 03/1/21(火) 15:46 ┗科学を否定することなかれ キヒツ 03/1/26(日) 23:46 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 『人類が神を見る日』読書日記(1) ■名前 : キヒツ ■日付 : 03/1/19(日) 22:58 -------------------------------------------------------------------------
| 私にとって、「気功」は重大な出会いであった。1988〜89年の時期に、中国の気功師、厳新(げんしん)を知ったのだ。精神世界系季刊誌である某雑誌にてそれを知り、そこに日本人気功師のX氏が投稿していたので、はるばる遠方まで会いにいって、しごく短期間とはいうものの、貴重な教えをいただいた。Xさんの兄は、フリーエネルギー研究家である。ミュージシャンであったXさんが、ある日突然、治療の能力が開化したように、兄さんもまた、漫画家からの突然の方向転換であったようだ。 気功、そしてフリーエネルギー。そのどちらもが、当時の時代においては、パイオニアとしての困難な道を行く運命にあり、Xさん兄弟は、そんな苦境を、不思議な連帯によって切り開いていたということになる。気功治療と、フリエネ研究とは、どこかで何かがシンクロしており、Xさん兄弟は、時に激しき意見をぶつけ合わせながらも、奇妙な信頼関係の中で研究を進めていたように見受けられた。 今から15年前というと、私は二十代半ばである。気功師としてのイニシエーションを受けたとはいえ、まったく人間的、社会的な基礎を欠いた未熟者であった私は、上京し、以後十年間、まさしく修行というにふさわしい実践修行としての人間理解の道に向かうことになるのであった。その人間修行の過酷さは、カンフー映画のジャッキー・チェンさながらである。まあ、それは誰も同じことなのだろうが。 そして、帰郷し、治療家として開眼し、毎日、体操と治療に専念し、身体というレベルでの修行の基礎段階を終了したとおぼしきが、今の私である。 そんな私が、手にするのが、この、『人類が神を見る日/半田広宣』なる書物である。 この本を持って日曜日の散歩に出た。さわやかな冬の陽気、ルンルン気分で散歩をし、気功をやり、また散歩し、と繰り返す合間に、ベンチに座って読んだのである。 「求めよ、されば得られん。(求めなさい、そうすれば得ることができるだろう)」というような聖書の言葉があったと記憶している。その時の私の状況は、さしずめこのようであろう。「求める状況が整った。さあ、受け入れる準備をしなさい」。 私の手が微妙に変化したのに私自身が気付いたのであろう。どのページを開くか、手の運動の自動性に任せた。手が動き、行きつ戻りつしながら、あるページを開く。そして、さらに、ある行の、ある語を指先が示す。…そうなのだ。かつての私は、「重要な書物」と出会ったときに、このようにして読書の儀式を始めるのだ。読書が、体操なんぞよりもずっと重要な時期のころの話である。 その時、ツメで付けたあとが残っている。114ページ。「精密な…」 ─引用開始─ ──科学屋さんだ──わたしにはその男性の語り口調ですぐに分かった。この手の人には思弁的な話は通用しない。彼らを納得させるためには精密な測定データと綿密な理論考証が必要とされる。 ─引用終了─ これが、私の潜在意識が示した、この書物における第一のツボである。 次のページと行が示される。さっきの動作よりもかなりスムーズに指が動く。うん。これは、かなりの程度、信頼できる自動性だ、と確認する。 273ページ。「迎えて…」 ─引用開始─ 科学技術の時代を迎えて、一部の夢想家たちは物質的な世界イメージの中で「星の人々」の伝説を作り上げた。それは、遠い過去に宇宙からの訪問者が、まだ原人状態だった地球人を進化させるためにこの地球に降り立ったというものである。 ─引用終了─ 次の動作は、疑いようがない。やはり行きつ戻りつ、ページと行の一点が走査された。 314ページ。「考えれば…」 ─引用開始─ 「高橋さん、ということは、黄金分割とは外化と内化の中点に位置すると考えればいいのでしょうが、金星がこの分割点に何らかのかたちで関わっているのだとするならば」 ─引用終了─ さて、次はどのページかと思ったが、ここで終わった。 私はある種の「最重要ポイント」の指摘を、自らの潜在意識を用いて執り行う、書物を相手にしたこのコックリさん遊びに期待したのだが、上記3点はどうだろうか。 これが、どうかしたのだろうか…。さして、最重要とも思えないのだが。どこかで自我の介入による「妄想」に入り込んだかな。まあいいや。散歩を続けよう。 |
| >次の動作は、疑いようがない。やはり行きつ戻りつ、ページと行の一点が走査された。 >314ページ。「考えれば…」 ─引用開始─ 「高橋さん、ということは、黄金分割とは外化と内化の中点に位置すると考えればいいのでしょうが、金星がこの分割点に何らかのかたちで関わっているのだとするならば」 ─引用終了─ ルシファー、光りを運ぶもの。六次元の実体。6は9を解し3を配するチカラ。3への9のチカラの代行者。また・・・ |
| 「人類が神を見る日」はいいですねえ。 読めば読むほど味が出るような感じでしょうか。 去年の年末に再々読しました。 ヌースが産声を上げ、羽ばたいていく当時の様子が感じられ、そのエネルギーに読んでるこちらまで元気になりそうです。 結局、ヌースの全てが「人神」に書いてあるような気もします。 |
| ▼bessyさん: >「人類が神を見る日」はいいですねえ。 >読めば読むほど味が出るような感じでしょうか。 ほんと、「人神」はいいですよねえ。 >去年の年末に再々読しました。 私も何度か読み直しています。「シュレーディンガー・ルーレット」の図には感動したなあ。 >ヌースが産声を上げ、羽ばたいていく当時の様子が感じられ、そのエネルギーに読んでるこちらまで元気になりそうです。 >結局、ヌースの全てが「人神」に書いてあるような気もします。 確かに、全分野を網羅するような書かれ方はされていませんが、それだけに、それだからこそ、その奥行きを透かして見れそうなほど透明感がありますよね。すべてが凝縮されている気がします。枝に少々歯がついていても、幹がしっかり立っている感じですよね。 |
| ▼bessyさん: >「人類が神を見る日」はいいですねえ。 >読めば読むほど味が出るような感じでしょうか。 >去年の年末に再々読しました。 >ヌースが産声を上げ、羽ばたいていく当時の様子が感じられ、そのエネルギーに読んでるこちらまで元気になりそうです。 >結局、ヌースの全てが「人神」に書いてあるような気もします。 「人神」は、銀河の中心と共振するような感じを受けました。 それでは。 |
| 「人神」は、サスペンス(独白書?)を読んでいるような、「ワクワク」感がありますよね。 確かにシリウス用語、哲学用語、数学用語、科学用語を含めて、分からないとこだらけなんだけども、なにか「未知の映画」を観ているような感覚が湧き上がってくる。 後は、泣ける!・・・。 私は、ある会社を辞める時、この本をお守り代わりに携え、逃避行しました(^^ゞ それでは。 |
| ▼ヒオキさん: >─引用開始─ >「高橋さん、ということは、黄金分割とは外化と内化の中点に位置すると考えればいいのでしょうが、金星がこの分割点に何らかのかたちで関わっているのだとするならば」 >─引用終了─ > >ルシファー、光りを運ぶもの。六次元の実体。6は9を解し3を配するチカラ。3への9のチカラの代行者。また・・・ サンキュー。(笑) |
| 『人類が神を見る日』p.122より、以下、 ─引用開始─ 「じゃあ、今、流行の『気』だってタキオンの力ってことになってしまうんじゃない の。」 「いいや、気とタキオンは違う。タキオンは気の本質となるものだ。気で電気は作れんだろうが。気功師が空間から電気を取り出したなんて話は聞いたこともない。本当にタキオンを発振することができれば空間から無限のエネルギーが取り出せるはずだ。」 ─引用終了─ のっけから引用で申しわけありませんが、下図にあるように、気功師の厳新氏は、気で発電しているようです。 しかし、そのことが「空間から電気を取り出している」のかは不明。 「気」にせよ「フリーエネルギー」にせよ、なんらかの「ゲシュタルト的変換」つまり、「図(図像)と地(その背景)の“置換”」の作用が要になるような気がする。 そのゲシュタルトの代表が、「陰陽」であり、また「虚実」である、というのが、東洋哲学、東洋医学の言い分である。 とにかくコウセン氏のするどいのは、その作用の中心に「人間(ないしはヒト)」がいる、としたことだろう。つまり、人間存在にまつわる何らかの中心的特性が、そのようなゲシュタルト性にあると言い切るのである。 考えてみれば、そのような人間“だからこそ”、陰陽を見、虚実を見るわけである。そして、その見る対象が人体としての生命現象という4次元性にあったという東洋“医学”の特性において、やむをえず、陰陽虚実という、「四値原理的」な観察方法を捨てることができなかった、ということが、東洋医学の特殊性なのである。擬似的であるにせよ、そのようななにものか(陰陽虚実≒四値)として継承していると考えることができるのである。 厳新氏の人体発電に関しては、 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/kiko/ki-mono-kokoro2.htm 現在の厳新氏はアメリカ在住と聞きます。ちょっと以前に氏のホームページにアクセスした記憶があるのですが、現在は閉鎖したようです。 |
| >─引用開始─ > ──科学屋さんだ──わたしにはその男性の語り口調ですぐに分かった。この手の人には思弁的な話は通用しない。彼らを納得させるためには精密な測定データと綿密な理論考証が必要とされる。 >─引用終了─ > >これが、私の潜在意識が示した、この書物における第一のツボである。 この「科学屋さん」とは、『人類が神を見る日』では、薬品会社の技術者であるとなっている。 以前は、物理学に少し興味があったが、最近は「化学」に関心がいく。関心がいくといっても、本格的に勉強しよう、ということではなく、より「カタチの世界」なのは、化学の世界なのではないのかな、という気がしてきたからだ。 最近、知人の紹介で「整水器」のセールスマンに会ったのだが、「水」の話というのはとてつもなく面白いものだと感じた(酸化還元がどうの、なんとか電位がどうの)。「ウォータービジネス」全盛の昨今らしいが、確かに水の世界は面白そうである。この掲示板でもたまに目にする「水の鏡」という概念が、なんとなく分かって来た。水の分子がもつ、「反転」的性質、ないしは構造と、人体のもつそれとは、なんらかの直接的な相似性がありそうである。 話をはじめの引用文に戻す。 ヌース理論を広めるにあたり、科学をないがしろにすることなかれ。これが原則的にあるのだと私は考える。これが、実は、ひじょうに重要なポイントとなる。 よくよく考えると、このコウセンさんの話は、私のやっている分野とまったく同じ話なのである。私の場合、いちばん気を使うのが、病院と医者の話なのである。 科学文明の世界というのは、たんに、ひとつの分野なのではなく、現代社会におけるメインカルチャーとして、人々の「居場所」を提供するものなのである。「科学の世界」には、実は、人間の居場所などというものはおそらくないのだが(人間の実存は科学世界に安住できない)、それだけに、人々は、強く、それを、…それらしきものを求めるのである。それがいわば「宗教としての科学」の側面であり、実は、そこに大きく現代医療というものが関与している。 ある種のホラー映画で取り扱われる恐怖体験(精神的トラウマ)の源が、医療体験にあるということを暗示するのが、「ヘルレイザー」という映画で、そこに出てくる魔導師、だったっけ、それらの怪物たちの雰囲気は、まさに、恐るべき医者、人間の肉体を切り貼りするメスを持った怪物としての医師である。この科学の時代にあって、現代医療の一部は、ある種の、強烈に残酷な社会的イニシエーションの一つとなっている側面もある。(椎名林檎という女性シンガーの、メインテーマも、まさにそのトラウマにある。つまり、肩甲骨の手術体験。そして、その後遺症としての奇形。) もう時間がないので、私がいいたいことを増永静人先生に代弁してもらう。 『経絡と指圧』p.372より以下、 ─引用開始─ そうした保険診療に満足できない少数の人たちが漢方・鍼灸または民間治療に渇を求めにくる。さればこそ経済的になり立つ料金を要求して施療することができ、東洋医学的施術の良さを味わって貰えるのである。私は先ずこの感謝の気持をもって、患者に接する心構えの第一としてあげたい。したがってそれまでどんなに間違った医療を受けていたと感じても、またそこに西洋医学の欠陥が大きく覗いたとしても、これを決して大声で非難してはならず、そのことに気付いて自分の処へ来てくれた患者の見識をこそ敬服しなければならない。 ところで鍼灸治療を受けようと訪れてきた患者が、それ故に鍼灸、あるいは自分の技量に信頼をよせてきてくれたのだというような思いあがりを決してもってはならないのである。現代医学の築き上げた牙城というのは、われわれが考える程、もろいものではない。治療の失敗はその医者の責任であり、治癒不能は進歩の限界であって、医学そのものの権威は少しも損なわれないのが現状である。患者はでき得れば現代医学の手によって治りたかったのが、たまたまその不適応症候であったために、仕方なく他の手段を求めたにすぎないというケースがほとんどである。それを単純に、自分の治療を求めてきたから、これは漢方鍼灸の味方であると思いこんで気を許した態度で接することは禁物である。夫婦げんかをして夫の悪口を訴えている女は、多分に夫への未練をもっている証拠だと思わねばいけないように、現代医学への不信を訴えている患者は、自分への同情を求めているのが本音である。それにつられて柏手への非難に同調すれば、たちどころに「はしたない人だ」と批判されてしまうだろう。患者は自分に同情して丁寧な扱い方をしてほしいのであって、相手をやっつけることを求めているのでは決してない。むしろそうしたやりとりによってこちらを評価しようとしている場合が多いのである。 ─引用終了─ もちろん、私も、医者の悪口はなるべく言わないことにしている。 医者、現代医療、現代科学、というものは、そういう、悪口を言ってどうなるというような存在のあり方をしていないのである。 |